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学長からのメッセージ Message from the President

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形と型と

形を読み、形取り、形を練り、形にする。「表現で世界を変える」という標語を掲げる本学での学びは、一本の線の造形からフィールドワークの作法や論文の書き方に至るまで、どれも形と深く結びついています。自分の表現を築くには、見本や手本を真似ることから入っていくけれど、究極は型に到達しなければなりません。形と型はどういう関係にあるのでしょう。
 
教育哲学者の生田久美子さんは『「わざ」から知る』という本で、伝統芸道における技の伝承は、外面的な形の模倣に始まるが、型ができなければ完成しないといいます。型とは、所作が長い間くり返されるなかで当人も意識しないところで身体の挙動を規定してしまう傾向性のことです。芸の型は、世阿弥がいう「有主風 うしゅふう」に等しい。形を真似るだけの「無主風 むしゅふうう」に対して、形をわが物にした状態、形を自らの主体的な動きにした状態が「有主風」で、それはもはや似せようという気持ちがなくなった状態です。そこで、能の習得は自分自身の主体的な動きとなるまで物真似を極めることが重要だ、と世阿弥はいったそうです。
 
どうすれば自分自身の主体的な動きになれるのか?逆説的ながら、動きを止める「間」を体得することです。「間」とは単なる空白でも沈黙でもなく、「間」もまた別の表現であって、完璧な技は、表現された部分と表現されていない部分を含み、しかも両者の間に緊密にして抜き差しならぬ緊張関係がなくてはならないといいます。
 
ただ、生田さんは「間」とは単なる空白でも沈黙でもないと言っていますが、私は空白と沈黙は根本的に異なるものだと思っています。昔から沈黙は金なりといいますし、より積極的な意図もあります。わたしたちが対話の中でだんまりを決め込むのは、不同意や不服、拒絶を表明するためで、そうしたディスコミュニケーションもコミュニケーションの大事な一側面なのです。もっと大事なことがあります。沈黙は、秘めた力を自分の中に貯めて、いよいよ動きだすまでの踏ん張りの時間だということです。哲学では、「~しないことができる」能力を有能はもとより無能とも区別します。「現勢力 エネルゲイア」に対して「潜勢力 ポテンツァ」といいます(ジョルジョ・アガンベン)。
 
画面の余白、コマの間白から文章の行間に至るまで、みなさんは日々形だけでなく「間」についても学んでいるのです。おしゃべりなことばたちの合間に流れる沈黙にも目を向けてみてください。

それでこそ、あなたらしい表現は、完成していくのです。
 
 

姜 竣 KANG Jun

所属
・マンガ学部 マンガ学科 カートゥーンコース
・マンガ学部 キャラクターデザイン学科 キャラクターデザインコース
・大学院 マンガ研究科
学長任期 2026年4月1日~2030年3月31日

東京外国語大学外国語学部卒業。筑波大学大学院歴史・人類学研究科修了。文学博士(大阪大学)。 専門は民俗学、文化人類学、表象文化論で、長年日本の紙芝居とマンガ史の調査研究に従事しつつ、メディア論、ポップカルチャーの消費、<韓流>サブカルチャーについて研究。単著に『紙芝居と<不気味なもの>たちの近代』(2007年)、『マンガ学部式メディア文化論講義—絵と声と文字の相関から学ぶ』(24年)、共著に『マンガの昭和史』(08年)、『韓流サブカルチュアと女性』(06年)、『ストリート人類学』(18年)、『近代日本宗教史第5巻 敗戦から高度成長へ』(21年)、論文に「『鬼太郎』物語の誕生と成長」(1999年)、「文学の根拠から越境する文学へ」(『ユリイカ』2019年2月号・特集:吉本ばなな)、「スティグマのシンボルからアイデンティティのイコンへ-「マレビトの地理」が導く歓待の問い-」(19年)などがある。