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「2022年度 京都精華大学・大学院 入学式」を挙行しました。

2022年4月1日(金)、「2022年度 京都精華大学・大学院入学式」を挙行しました。

今回は、新型コロナウィルス感染症拡大防止として、午前と午後の二部制で実施。
第一部はデザイン学部、マンガ学部、人間環境デザインプログラム、デザイン研究科、マンガ研究科の新入生、第二部は、国際文化学部、メディア表現学部、芸術学部、人文学研究科、芸術研究科の新入生を対象に執り行いました。
 
今年度は、学部1,031名、大学院58名、編入学20名の計1,109名が入学。
澤田昌人学長は「教職員一同、皆さんを迎えることができて、大変嬉しく思っている。知らない人に囲まれて心細く感じている人もいるかもしれないが、ここで出会う人たちと互いの違いに向き合い、時には偏見や思い込みを乗り越えながら、豊かな学生生活を送ってほしい」と新入生に歓迎の言葉を述べました。
  • デザイン学部長 森原規行
  • 国際文化学部長 山田創平
その後は各学部長が挨拶を行いました。各学部の学びの意義や、卒業までに取り組んでほしいことを語り、ともに学ぶことを楽しみにしていると温かなメッセージを送りました。
  • 午前の部・新入生代表 マンガ学部カートゥーンコース 藤井美羽さん
  • 午後の部・新入生代表 メディア表現学部メディア表現学科 末岡 優芽さん
新入生代表挨拶は、午前の部をマンガ学部カートゥーンコースの藤井美羽さん、午後の部をメディア表現学部メディア表現学科の末岡優芽さんが務めました。

藤井美羽さんは、「絵が自分の世界や想像力、観察力を広げてきてくれた」とこれまでを振り返り、「これからは、専門分野はもちろん、語学や人文科学を学んで広い視野を身につけ、社会に貢献できる絵を描いていきたい。できるだけ多くの人と出会って刺激を受けながら大学生活を実りあるものにしていきたい。」と4年間の意気込みを語りました。末岡優芽さんは、絵本『3びきのかわいいオオカミ(ユージーン・トリビザス著、冨山房)』の物語を、現代社会の生きづらい現状を表していると紹介し、「今はまだ、この社会をより良くするための技術や教養を身につけられていない。この4年間で、人と人とを繋げ、誰かの世界を広げられるクリエイターになりたい」と、今後の抱負を語ってくれました。
新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。これから京都精華大学で出会う友人や教職員と、ともに学びあい、有意義で楽しい学生生活を過ごしてください。

「2022年度 京都精華大学・大学院 入学式」学長挨拶

新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。そしてそのご家族や関係者の皆様、ご子息、ご息女のご入学心よりお喜び申し上げます。本学の教職員一同、新入生の皆さんを迎えることができて大変嬉しく思っております。今日から皆さんの新しい生活が始まります。
 
一昨年度からの感染症の流行で、本学でも半年間、大学の授業がほとんど全てがリモートで行われました。そのために、学生同士が交流し、学び合う機会が失われてしまいました。当時の学長は、京都の大学のなかでも比較的早く決断し、学生が大学に来て授業を受ける機会を作りました。かし、その年は入学式も中止となり、新入生は半年間大学に来ることもできず、大変気の毒な事になりました。本日のように入学式を迎えることは当たり前のように思ってきましたが、決してそうではありませんでした。

さて皆さん、ご自分の周りを見回してみてください。目の前に立って話をしている私はもちろんのこと、皆さんの周りに座っている同級生たちは皆見知らぬ人たちばかりです。たくさんの知らない人たちに囲まれて心細いかもしれません。なかには日本以外の国から入国したばかりの新入生もいることでしょう。その人たちにとっては、初めての国で自分一人で新しい生活を始めることになります。不安もさらに大きいことでしょう。

この大学には多くの学部があります。さまざまな背景を持った学生や教職員が、このキャンパスに集っています。この多様性そのものが、この大学の重要な資源、つまり教育のための大切なインフラになっているのです。しかし、見知らぬ人と出会って、知り合って、友達になっていくのは、容易なことではないかもしれません。

私は、アフリカ中央部のある国で、人類学と現代史の研究を行ってきましたが、現地で私が使用した言語は、スワヒリ語という言語です。スワヒリ語は、東アフリカで広く使われている言語ですが、その有名な諺に「山と山は出会わないが、人と人は出会うものだ」というものがあります。大学での勉学や交流は人と人との出会いによって促され、深く発展していくものだと思います。
この諺は、人間世界の当たり前の真実を表現しているものですが、生まれも育ちも、教育も考え方も、食べるものや生活習慣も異なる相手や、さらには言葉も異なってコミュニケーションの難しい相手を前にすると、この当たり前の真実を忘れてしまいがちになります。
皆さんがこれから出会うはずの本学の学生、教職員、そしてより広い社会、世界の人々は、どれほど皆さんと異なっていることでしょうか。想像するとワクワクする人もいるでしょうし、多くの知らない人と出会うことにゾッとする人もいるでしょう。

私の若い頃のささやかな経験を紹介させてください。私は20代の半ば頃、アフリカ熱帯林の奥に住んでいる「ピグミー」と呼ばれている人びとの生活や考え方を調査していました。人類学の研究を行うことが目的でしたが、自分の生まれも育ちも異なる人々のところに行ってみたいという衝動があったのかもしれません。
調査地は、電気も水道もガスもないところです。「ピグミー」の皆さんは枝と葉っぱで作った小さな家の中で寝て、昼間は魚や、ケモノや、虫をとったり、森の中に生えている芋や木の実を集めたりして夕方にはそれを煮て食べます。
私もなるべく現地の人たちと同じ生活をし、皆と同じものを食べるように努めていました。食後になると皆が焚き火の周りに腰をおろして、寝るまでのあいだお喋りをします。その「ピグミー」の人々にとって、私は一緒に暮らす初めての肌の白い人です。そのため私は皆からの質問攻めにあうのです。どこから来たか?どうやってきたのか?日本では何を食べているのか?お前の親は何をしている人か?お前は結婚しているのか?兄弟は何人か?兄弟は何をしているのか?日本には黒人は住んでいるのか?などなどです。
生まれ育った日本での自分の当たり前の経験が、これほど興味を持って受け止められるのは大変嬉しいことでした。日本と日本の人々がピグミーの皆さんに感銘を与えているような気がしていました。
 
そういう毎日が続き何週間かたったある夜、いつものように焚き火の周りに座っていると、「ピグミー」のあるおじさんが、私にものを言いたそうにしているのです。周りの他の人もそのおじさんに、「言え、早く言え」という感じで促しています。いつものように日本についての質問かと思っておりましたので、「さあ何でも答えますよ」という気持ちで質問を待っていました。そのおじさんは、とうとう口を開いてこう尋ねたのでした。「サワダ、お前は、人間を食べたことがあるか?」 一瞬きつい冗談だと思ったのですが、尋ねている表情は真剣そのものでした。私は笑って答えました。「まさか!もしボクが人喰いだったら、今頃ここにいる皆を食べちゃってるよ!」。それを聞いて、皆もあははは、と笑っていますが私の冗談を本当に面白がっているようではないのです。
焚き火の周りの皆が黙りこくり、夜の虫の音が聞こえてきました。そのおじさんは私にさらに尋ねました。「お前が人間を食べたことがない、ということはわかった。それでは、お前の両親は人間を食べたことがあるか?」 ここに至って初めて、私や肌の白い人が、ここでは「人喰い人種」のように思われていることに気づきました。冗談ではなく真面目な質問だったのでした。そう言えば、この森に来る途中のアフリカの村々でも、私の姿を物珍しそうに見にくる子ども達はたくさんいましたが、私の方が近づくと逃げていく子ども達が多いのです。中には逃げ遅れて私の前で立ちすくんで泣いてしまう幼い子どももいました。もしかするとあの子ども達は、「人を食べている」と信じて、私を恐々見にきていたのかもしれません。
 
私は反撃しました。「実は、ボクがアフリカのこの森にきて一人で何ヶ月も暮らすことになったとき、周りの友人のなかには『サワダはアフリカの原住民に毒矢で殺されて、鍋でぐつぐつにられて食べられてしまうであろう』と言う人間がいたのだよ。」と、そう皆に言ってやりました。もちろんその日本の友人は冗談で言ったのでしょうが、もしかしたらと思っていたのかもしれません。今度は「ピグミー」の人たちが、大声で笑いながら「もし私たちが人喰いだったら、今頃サワダ、お前は食べられちゃっているじゃないか。」と言うのです。そこで私たちは同時に同じ事に気がついたのです。「ピグミー」のおじさんは言いました。「あーあー、お互い様なんだねえ。」私たちの思い込みや偏見は片方だけのものではなかったのです。
 
私と「ピグミー」さんたちとの些細なやり取りを紹介させていただきました。ここにいる皆さんは、これから出会うであろう同級生や教職員に対して、自分でも知らないあいだに、根拠もないなかで、一方的な思い込みや偏見を抱くことがあるかもしれません。
例えば「男とはこういうものだ」「女とはこういうものだ」「あの国の人はこういう人だ」「大人はこういう考えだ」というような思い込みです。しかし、あなたが相手に思い込みや偏見を持っているように、相手もあなたに対して同じような考えを持っているのではないでしょうか。そのような一方的な思い込みや偏見に気づき、お互いが乗り越えていくことこそが、人と人とが出会うことの本当の意味ではないかと考えます。
 
この京都精華大学のもつ多様性は、みなさんに様々な出会いの機会を与えてくれるはずです。多くの多様な出会いを通じて、皆さんが思い込みの小さな世界から解き放たれて、自由な考えで自身の道を進んでいけるようになってほしいと願っています。
皆さんの大学生活が、多くの人との「本当の出会い」によって豊かな時間となりますように、私たち教職員はもちろんのこと、皆さんにも努力していただきたいと思います。
 
京都精華大学学長
澤田 昌人

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