佐々木 中先生インタビュー

2015/12/08

 

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Q.「自分には才能があるのか、見つけることができるだろうか?」と問われたら?

A.「きみひとりにできることは小さくても、それはやめる理由になりません」

 きみたちが大学に入学するときは18歳。選挙権もある大人です。もう、黙って口を開けたらおばあちゃんがチョコレートを放り込んでくれるようなことはありません。手軽な快楽ではなく、純然たる喜びを得られる何かを探しに行かなければいけないし、その道のりをも楽しめなければいけない。純然たる喜びしか世界を変えることはないからです。

 大江健三郎さんが、或る本のなかでこう言っている。図書館に並ぶ偉大な作家たちの小説を見て「こんなにも小説はみごとに、すでに書かれてしまっているのに、なぜ私は書くのか」と悩む若い作家がいたら、「過去、無数の偉大な人が生きてきた。それなのに、なお君は生きようとするではないか」と励ますだろう、と。きみひとりにできることはたかが知れたことかもしれない。でも、それはやめる理由にはならないのです。

 また、落語家の故・桂米朝師匠の一番弟子だった桂枝雀師匠は、お客さんに笑ってもらうために思い詰める人でね。鬱病をわずらったあげくに自殺してしまったんです。米朝師匠は愛弟子の死を知って「どんな人間も芸は磨かなあかん。磨いても磨いても、どうしても笑ってくれへんお客さんもいる。それはしゃあない。せいいっぱいの高座を務めたら、さっと帰るんや」という意味のことをおっしゃったそうです。人に認められることを最終的な価値に置いてはいけないんだよね。それが孤独ということなんです。

 才能というのは「オレにはこれしか残らなかった…」という感じでやってくるかもしれません。出来る限りのことをやりつづける、投瓶通信ですね。手紙を詰めた瓶を、ムダかもしれないけれどずっと投げ続ける。そうやって、世界は少しずつ変わっていくものなのです。

 それがなぜか、多くの人のベクトルがひとつの方向にまとまってしまう瞬間があります。それを革命と言います。だから、快楽ではなく、楽しみではなく、喜びを見出すこと。喜びというのは、絶対にクリエイティブなことのなかにあるはずです。

 
 
 
 

 
 


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