佐々木 中先生インタビュー

2015/12/08

sasaki02

Q.SNSで「書く」ことと、文学として「書く」ことの違いは?

A.「見せたい自分だけを書くことは、やがて自分自身を苦しめることになります」

 精神医学や心理学、精神分析の創始者であるジーグムント・フロイトは、患者に対する治療法として自由連想法を施しました。「どんなに恥ずかしくみっともないことでも、心に浮かんだことは何でも話してください」。無意識の抑圧を解除してどんどん話していくと、無意識の欲望がわかってくる。それが彼の臨床の根本でした。

 実は、フロイトの自由連想法には元ネタがあるんです。フロイトが十代の時から読んでいた、ルートヴィヒ・ベルネというい作家の随筆「三日で独創的な作家になる方法」という本です。これが面白い。「三日間部屋に閉じこもって、とにかく思ったことを全部書け」。どんなにダサいことも嫌らしいことでも、無意味に感じることでも書き続けることで、書くことへの敷居を低くしてしまう。すると「あれ、なんだこれ?」という、自分でも思ってもみなかったことが出てくるわけです。

 でも、ここで書いたことは誰にも見せません。見せる必要がないわけです。フロイトも、患者が自由連想法で話したことは決して口外しません。自分だけの言葉を見つけるにはね、こういうふうに誰にも見せない言葉を発し続けることがとても大事なのです。

 一方、TwitterやFacebookでは、第三者の目があるところで“見せたい自分”だけを言葉にします。思ってもいないことを書いていても、人の目がある以上はそれが自分だということになってしまう。そうすると自分がとても低レベルな水準で分裂してしまうので、だんだんおかしくなる。これはね、実はある意味で自傷行為なのです。そのあげくに、作家や研究者でも、Twitterで病的な虚言ばかり吐いてる人がいるよ。みんなは「SNSでリア充を見るのが悔しいから苦しい」と言うけれど、そうではないと思いますね、本質は。虚言で自分を傷つけるという自傷行為がやめられない。これが苦しくないわけがないでしょう。苦しくないというのなら、それはもう自傷行為の「中毒」になっているんだよね。

 そうではなくって、誰にも見せないでひとりでノートに書き続けるとね、「思ってもみないこと」を自分が考えていたことを発見できる。「思ってもいない」のに不特定多数に向けて書いてしまったことにからめとられ、自縄自縛になるのではなく、「思ってもみなかったこと」が自分のなかにあることを「発見」するわけです。これはものすごく重要な違いです。SNSは「戦術的」に使うべきで、そしてその「戦術」は一時的なものでしかない。その人の本質とは実は何の関係もないのですよ。

 繰り返しますが、文字は人類史規模ではほとんど最新の武器ですから、取り扱いには注意が必要なのです。使い方を間違えて振り回すと自分の身を切ることになりますよ。

  
 
 

 
 


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