佐々木 中先生インタビュー

2015/12/08

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「言葉は、この世界を変える力を持っています」

新たな概念をこの身体に受けて世界を再び産み出す「哲学」


 
哲学とは、その語源にさかのぼれば「知恵」に対する「友情」。佐々木先生は、哲学の知識や歴史を学ぶことより以前に、まず「哲学的であるとはどういうことか?」と行為としての哲学へと学生を誘います。哲学をするとき、「私はなぜこう考えたのか」という思考を表現するツールは言うまでもなく言葉です。書いて書いて、書きつづけて自分だけの言葉を見つけること、そして自分にしかない才能を見出すことについて、佐々木先生にお話をうかがいました。
 


 
 
 

Q.年数冊の著作を発表することも。佐々木さんはなぜ書き続けられるのですか?

A.「なぜ、みんながこれほど書かないでいられるのかわからない人間だからですよ」

 僕にとって、「なぜ、あなたはこれほど書くのか?」などという問いは問いではないです。「なぜ、諸君はこれほど書かないのか?」ということです。人間が発明したもののなかで、たぶん一番決定的なものは文字です。言語によって人間は人間になった。しかし人間が「文明」を持つようになったのは文字の発明によってです。

 しかし、20万年におよぶ人類の歴史において文字ができたのはたった5000年前。おそらく、直立二足歩行を始めた人類は、歌い、踊っていたでしょうし、3万7000年前にはもう「絵を描く」という意識がなければ描けない絵が出てきています。つまり、ダンスや音楽、絵画と比較すると文字は驚くべき若いメディアなんですよ。

 高校生も、大学生も、社会人もみんな、本を読んだり書いたりするのは古くさいことだと思っているようです。いや、古くない。歴史的事実として古くない。読んだり書いたりすることには壮絶な深みがありますしね。文学や哲学、人文学がなぜ「古くさい」ということになってしまっているのか全然わからないです。なぜ、そんなことがわからないのかというと「本を読んでいないからだ」という堂々巡りの結論になるんですけども。

 でも、どちらにしろ人は書いてしまうのです。「本を読みたくない」「レポート書きたくない」という人も、SNSでは嬉々として「書く」わけですよね? 情報化社会になって明らかになったのは、結局ネット上の情報というのは圧倒的に文字であることです。映像を流しても「この映像はどういうことなのか」というタイトルやテロップをつけるために文字が必要になってしまう。

 なぜ、僕は書き続けるのか、と? 書いていることはすごく苦しいですよ。全然楽しくありません。でも、絶対にやめない。「この一行が書けたというのは何ものにも代え難い」という瞬間がありますからね。「世界のすべてと交換しよう」と言われても馬鹿を言うなと言い切れる瞬間があります。

 
 
 
 

 
 


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