堤 邦彦先生インタビュー

2015/03/20

堤 邦彦03

Q.研究をしていて手応えを感じるのはどんなときですか?

A.新しい発見は500にひとつ。すぐには見つからないから面白いんです。

たとえば、江戸時代の戯作者・為永春水の作品『新局九尾伝(しんきょくきゅうびでん)』の研究をしていたときのことです。『新局九尾伝』は中世に流行した、九尾の狐の妖怪が絶世の美女に化けて宮中に入り込むという伝説。やがて正体がばれて討伐されると、今度は殺生石(せっしょうせき)という毒石に変化して人間や動物の命を奪い続けるんです。そこに登場するのが源翁(玄能/げんのう)和尚というお坊さん。法力で殺生石を割って退治するんですね。
 
これを伝承文学の視点で見ると、面白いことがたくさんわかってきます。『源翁和尚と九尾の狐の伝説』が流行した時代は、日本で最も築城が盛んで石が必要だった戦国時代、それから東照宮や上野・寛永寺などの石畳がたくさん作られた江戸時代初期と重なります。つまり、全国の石工といっしょに各地の伝説もまた都会に集まっていたことが、『九尾伝』誕生の背景になっているわけです。そして、「ゲンノウ」は石を砕く大きな金槌の名前にもなっています。
 
さらに、京都の真如堂に祀られている鎌倉地蔵は、殺生石の一部で作られたと伝わっています。実は、真如堂は幕府の作事方大棟梁・甲良豊前守の菩提寺。今で言うなら国土交通大臣、石工を束ねる大臣のお寺です。だから、このお寺に九尾の狐に由来する殺生石があるんですよ。ちなみに、石工の伝承を知る糸口を教えてくれたのは、芸術学部立体造形コースの先生方でした。
 
このつながりをひも解くには、石工の伝承を全国にフィールドワークして歩く作業が必要でした。一見関係ないと思われる伝説の研究、石工が使う金槌の名前、石工たちの口伝などを積み重ねてやっと「なぜ、九尾伝は流行したのか」が見えてくるのです。
 
謎が解けていく瞬間はものすごく手応えがあります。ただ、見つかるのは500にひとつ、無駄な作業が499ですよ。でも、手がかりが見つからないときも「ここにはないとわかってよかった」というのが研究の基本。たとえ何百回に1回でもいいから見つかると信じてやるのが研究なんです。ひとつ手がかりが見つかれば次が見えてくる。数をこなさないと絶対に行き着けない世界があります。
 

九尾伝

「九尾伝」は合巻というジャンルの作品。絵と文章を半々にしたマンガのルーツのような書型で、江戸の一般庶民の間に流行していた。
  
 
 
 


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