読み物

6月22日(木)アセンブリーアワー講演会「韓国文学が教えてくれること -個人と社会の接点から文学が生まれる-(ゲスト:斎藤真理子氏)」レポート

アセンブリーアワー講演会は、京都精華大学の開学した1968年から行われている公開トークイベントで、これまで54年間続けてきました。分野を問わず、時代に残る活動や世界に感動を与える表現をしている人をゲストに迎えています。
 
 
2023年6月22日(木)は、韓国語翻訳家の斎藤真理子さんを迎え、「韓国文学が教えてくれること ─個人と社会の接点から文学が生まれる─」をテーマに講演会を実施しました。
斎藤さんは明治大学文学部在学中にサークル活動で韓国語を学び、後に韓国の延世大学に留学。韓国文学ブームを牽引することとなったチョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)をはじめ、チョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』やハン・ガン『すべての、白いものたちの』(ともに河出書房新社)、ファン・ジョンウン『ディディの傘』(亜紀書房)など、数多くの作品の翻訳を担当。2015年にはパク・ミンギュ『カステラ』(クレイン)で第一回日本翻訳大賞を受賞。著書に『韓国文学の中心にあるもの』(イースト・プレス)があります。
  

「韓国文学が教えてくれること -個人と社会の接点から文学が生まれる-(ゲスト:斎藤真理子氏)」レポート


(斎藤さんが翻訳した書籍たちの一例)
K-POPにドラマ、映画……いま、世界から脚光を浴びている韓国カルチャー。なかでも注目に値するのが、日本における近年の韓国文学ブームです。2021年に発表された『82年生まれ、キム・ジヨン』は翻訳文学では異例のベストセラーとなり、「韓国・フェミニズム・日本」という特集を組んだ文芸誌「文藝」2019年秋季号は創刊以来86年ぶりの3刷を記録。書店には韓国文学作品がずらりと並び、シリーズやアンソロジーも続々と翻訳されています。

いったいなぜ、いま韓国文学に惹かれる読者が増えているのか。今回は、韓国文学を考える上で重要なキーワードについて、数々の作品を日本に紹介しつづけている韓国語翻訳家の斎藤さんが語ってくれました。
 
(写し出されたスライドの一部 / 左:イ・サン、右:ユン・ドンジュ)
まず、斎藤さんがお話しくださったのは、朝鮮が日本によって植民地支配されていた時代を生きた韓国の国民的詩人ユン・ドンジュと、彼と同時代の詩人たちの苛烈な人生について。そして、日本の敗戦によって支配から解放された後、重要な文学者たちも北と南に分断されるという「文学史上の南北分断」が生まれ、文学史上に大きな欠落ができてしまったという事実について。「いま、韓国の小説が日本でかなり読まれるようになってきたんですけれども、その基礎にはこういった満身創痍の文学史というべきものが根底にあるということを、最初にお話ししておきたいと思いました」と斎藤さんは言います。
さらに、韓国文学を考える上で避けて通ることができないのが、朝鮮戦争です。日本では“朝鮮戦争の勃発による特需で復興を果たした”といった語られ方がされていますが、その実態は、凄惨な地上戦が繰り広げられ、核の使用さえ検討されるというものでした。しかも、この戦争は冷戦構造下の「残酷なイデオロギー戦争」であり、敵味方が入れ替わるたびに「裏切り者狩り」のようなことが行われ、一般市民の大量虐殺が起こったと言います。そしてなにより重要なのは、この戦争はまだ終わっておらず、いまも休戦状態であるということです。
植民地支配、解放後の分断、その後の軍事政権による独裁と暴力、多くの市民が犠牲となった民主化運動、いまだ終わらぬ戦争──。斎藤さんは「歴史のなかに無念の死の蓄積がある。これが韓国文学の基礎だと、私は思っています」と語ります。

(写し出されたスライドの一部 / 上:パク・ワンソ / 下:「無念さ」というキーワード)
「無念の死があったにもかかわらず、その無念の死を公に悼むことができない。追悼碑を建てるということもできない。それどころか、人前で話すことも憚られる。そういう時代が長く続いた。これもとても大きなポイントだと思います。無念の死があるだけではなく、そのことを語ることができなかった、その時間の長さというのが現在の韓国文学を水面下で支えているように思うんですね」

斎藤さんは、この「無念さ」を描き出した作家のひとりであるパク・ワンソ(1931〜2011)の作品を紹介し、そこに連なる日本でも人気の若手作家チョン・セランや、「いま世界的にいちばん有名な韓国の作家」と言われるハン・ガンなどの作品に言及。その上(うえ)で、韓国文学には「記憶と追悼は現在と未来のために必要だという視点」や「社会問題を真っ向から扱い、読み物として面白い」「ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)のエンタテインメント化」「激動する社会を生き抜く生命力」「過去と未来を広く見渡す思考力」などがあると指摘します。こうした韓国文学の魅力をまとめると、「『個人』と『社会』の接合面を生き生きと、深々と描く」点にあると言えそうです。
「『韓国の作家たちはいろいろなスタイルで思考実験を試みている』というのが私の印象です。その根底には、やはり、いままでの本当に大変だった歴史のなかで鍛えられてきたものの見方というものがあります」
「その時代を生きている人々が、その時代のなかで自分がいたということを足掛かりにして物語をつくっていくには、自分が受けるいろんな風を感知しなければいけません。それができる人が作家だと思います。そして、国家や社会に吹いている大きな風と、自分のなかでいつもざわめいている小さな風が重なるとき、そこで何が重なるかというところに、物語の芽があるのではないかと思います」

 
講演後の質疑応答の時間にも、「韓国のクィア文学をもっと翻訳したいという思いはありますか」という質問や「若い作家たちの姿勢から見える韓国社会の未来の風景は」といった問いかけが寄せられましたが、そのひとつひとつに丁寧にご回答くださった斎藤さん。講演や質疑応答を通じて韓国文学のダイナミズムに触れ、あらためて考えさせられたのは、「個人」と「社会」の関係が矮小化され、切り離されがちな日本社会のありようです。文学をはじめとする韓国カルチャーを「好き」「面白い」とただ消費するのではなく、当事者として過去を知り、学び、未来をともに歩む関係に近づくことができたら──。斎藤さんのお話は、そんなふうに考えるきっかけとなるものでした。
 
斎藤さん、このたびは貴重なお話をありがとうございました。

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