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Fashion

現場を見てきたから分かる、
ブランドPRに必要な“想像力”
市川渚(フリーランス)

ファッション業界において、作るだけでなく“広める”のも重要な仕事です。市川渚さんは、ファッション業界には珍しい、デジタル領域に精通したコンサルタント/アドバイザーとして活躍しています。京都精華大学で「ブランドPR」の演習を受け持つ市川さんは、読者モデルから販売の現場、海外ラグジュアリーブランドのPR業務など、ファッション業界でさまざまな仕事を経験してきました。そんななかで発見した、業界で活躍するために必須の能力、考え方とは――。

取材=蘆田裕史(京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 ファッションコース 教員)

市川渚 いちかわ・なぎさ
高校時代よりファッション誌にて読者モデルとして活躍。ファッションデザインを学んだ後、海外ラグジュアリーブランドのPR、有名クリエイティブエージェンシーのコミュニケーションマネージャーを経て、現在はフリーランス。ファッションとデジタルテクノロジーの間に立ち、2つの分野の橋渡し役としてデジタルコミュニケーションのコンサルティング等に従事。その他にもファッション関係のウェブメディア運営や記事執筆、セミナー/大学講師など活躍は多岐にわたる。2015年10月には、Digital Technology x Fashionに特化した日本初のウェブメディア「DiFa(ディーファ)」を立ち上げ、編集長に就任。京都精華大学では「ブランドPR」の演習を担当。

ファッション業界のPRでテクノロジーを活用

市川さんは現在ファッション・デジタル・コミュニケーション・コンサルタントとして働かれているとのことですが、具体的にどんなお仕事に取り組まれているのでしょうか?

市川 ファッションとデジタルのテクノロジーをつなぐ、“通訳”のようなお仕事をしています。音楽や出版も含め、多くの業界でスマートフォン、アプリ、SNSなどが利用されているのに、実はファッション業界はそうした技術を活かしきれていない部分があって。私は10代のころからインターネットやテクノロジーが好きで、そうした分野に明るいということもあり、例えばファッションブランドとアプリの制作会社をお引き合わせしたり、プロジェクトでの意思疎通をフォローしたり、ということをしています。“コンサルタント”と言っても経営にタッチするわけではありませんので、“アドバイザー”という方がイメージに近いかもしれませんね。

“通訳”というのは非常にわかりやすいですね。これまでのキャリアを振り返っていただきたいのですが、そもそもファッションに関心を持ったきっかけとは?

市川 母が私と同じ文化服装学院の出身で、小学校低学年くらいから洋服を作るところを横で見ていました。とは言え、ここまで“ファッションオタク”になったのは、もともとの性格として物事を突き詰めて調べるところがあったからだと思います。中学生のころ、ちょうどインターネットが出てきた時期だったので、気になったファッションについてとにかく調べていたんです。
もうひとつ大きかった出会いとして、高校時代、「構成」という授業の先生が面白い人だったんです。新宿で工事現場のコーンをかぶって行進したり、そういうパフォーミングアートをしている先生で、「市川さん、こういうの好きでしょ?」って、COMME des GARÇONSの服が載っている写真集を見せてくれたりして。そこからハイファッションに傾倒して、ちょっと“こじらせ”ました(笑)。読者モデルとしての活動も始めたのですが、バッグの中に『ハイファッション』や『gli』を入れて、『CUTiE』の撮影に行く…みたいな感じで。

そして高校卒業後、お母様と同じ文化服装学院に入られたんですね。

市川 でも、卒業を半年後に控えた3年の夏で中退したんです。自分で言うのもあれなのですが、学校の課題は問題なくこなすことができました。でも、ハイファッションやアートに触れて憧れてきた“something new(新しい何か)”を創造することは私にはできないと気づいてしまったんです。デザイン系のコースに居たので、3年生になるとさまざまなコンテストに応募しなければならないのですが、そこで評価されるものには新しさを感じず、クラスで“できない子”とされている子が、「間に合わない…」なんて焦りながら一生懸命に作っているものが、すごく新しく見えたりもして、よくわからなくなってしまって。そんななかでものづくりに対する気持ちが冷めてしまったこともあり、とにかく早く社会に出ようと、スパッと辞めることにしたんです。

その後はどんなご活動を?

市川 学校を辞めてすぐに、セレクトショップで販売とPRの仕事をしていました。その会社を離れてからは、短期的に販売の仕事をしたり、友人のブランドを手伝ったりしていたのですが、たまたまPRアシスタントの求人を見つけて。1ヶ月という短期間の募集なのに、ブランドがChristian Diorだったということもあり、すごい倍率で。でもうまく採用されて働くことになり、短期の契約だったのですが、その後、「なかなかいい人がいないし、市川さんに働いてもらいたい」と言っていただいて、正社員として採用されました。
そこから約5年間、PRとして働いたのですが、また職種を変えることにしました。というのも、PRというのはブランドの魅力を広く伝えるとてもやりがいのある仕事なのですが、海外のブランドだと特に、本国の力が強くて、日本独自の企画を行なうということがなかなか難しいところがあるんです。インターネットで育った私としては、次々に生まれる新しいテクノロジーや仕組みを新しい企画に取り入れていきたい!と常々思っていたのですが、やはり難しい部分が多く、フラストレーションが貯まってしまったんですね。結局PRの職を一旦離れ、ファッションとデジタル、双方の領域に強みを持ったクリエイティブエージェンシーに転職をして、ウェブ制作やデジタル施策と呼ばれるようなキャンペーンのプランニングなどの現場に触れ、その後フリーランスになったのですが、ファッションとデジタルが、どうやったら双方の良い所を生かしつつ、上手く融合していくのだろうと、今も試行錯誤の日々です。


2015年10月にスタートしたウェブマガジン「DiFa」。市川さんが編集長をつとめている。

経験の重要性

これまでの仕事は現在の仕事につながっているのでしょうか。

市川 ファッションにかかわるさまざまな仕事をしましたが、経験も、そこで生まれた人脈も含めて、すべての積み重ねの上に、今の仕事があると考えています。ものを作る側、買い付ける側というだけでなく、幅広い視点で業界を見ることができるようになったのは、本当に大きかったですね。
たとえば、何かのアプリを作って、販売員にそれを使ってもらおうというような話があったとき、販売員さんたちの気持ちになって「ああ、これはやりたくないだろうな」ということがわかるかどうかは重要です。ただ、それは自分が経験していないと絶対にわからない。職を転々としていると「根気のない人だ」と思われるリスクもありますが、こういう働き方をしてきたからこそ、多くのことを学べたんだと考えながら、日々生きています(笑)。

色々な仕事を経て、最終的に独立されたのはなぜでしょうか。

市川 一番大きいのは、前職を離れた時に「働きたい!」と思った会社がなかったからです。退職した直後に、以前の転職でもお世話になった知人のキャリアコンサルタントに相談に行ったりして、PRに戻るかどうかも考えたのですが、でもやっぱり一度フラストレーションをためてしまったPRの職に戻るより、私は何か一歩先に進みたいなと思ったんです。そうこうしているうちに知人からデジタル系の話について相談に乗ってほしいと頼まれて、コンサルタントの仕事を始めたらそれが軌道に乗ってきました。一度も営業をしたことがないのですが、人とのつながりで何とか生きてきたという感じです。

今は服作りを仕事にしているわけではありませんが、専門学校で服作りを学んで良かったということはありますか?

市川 それはありますね。私のような職種は、モノづくり側の職種、例えばデザイナーやパタンナーなどの方から「うさん臭いな」と思われる事も多いのですが(笑)、服を見ながら「この仕立てはすごいですね」「この素材はどういったものなのですか?」といったように、彼らの仕事に直結した話をしたりすると、すぐに心が開けたりします。そういったコミュニケーションのためにも、色々なことを知っておくのは大切だと思います。

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