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Fashion

企画から原価の管理まで、
幅広い「産地のデザイナー」の仕事
村田裕樹(hatsutokiデザイナー)

服をデザインする上で、“生地”はとても重要です。日本には数多くの生地の産地があり、それぞれの地域が得意分野を持っています。例えば、200年以上の歴史を持つ、兵庫県北播磨地区の“播州織”は、綿を中心とした、優しい風合いが特徴の薄手の織物。播州織の産地である兵庫県・西脇にある島田製織株式会社では80年間、糸染から織り、仕上げ加工に至るまで、近隣の工場と手を組んでものづくりを続けてきました。
そんな島田製織株式会社が手がけるブランド「hatsutoki」で、播州織の特性を活かした、やわらかな色合いのシャツやワンピース、ストールを生み出しているのが、デザイナーの村田裕樹さん。どんな道のりを経て「hatsutoki」に辿り着いたのか、産地で働くことの意味やこれまでの学び、デザイナーとして心がけていることをうかがいました。

取材=蘆田裕史(京都精華大学 ポピュラーカルチャー学部 ファッションコース教員)

村田裕樹 むらた・ゆうき
デザイナー。東京都出身。青山学院大学経済学部在学中にファッション業界を志すようになる。在学中は東京コレクションのアシスタントや、サークル「繊維研究会」、ファッションの研究会などに参加。卒業後は服飾系の専門学校に通いながら、自ら生地の産地へと足を運ぶ。2012年から、兵庫県北播磨地区の“播州織”を手がける島田製織株式会社のブランド「hatsutoki」デザイナーに。また、コットン栽培を通じて“服”への関わり方を考える機会を提供するプロジェクト「365cotton」も主宰している。
hatsutoki
365cotton

hatsutokiの服と兵庫県北播磨地区の風景。豊かな水は先染め織物の技術を育み繊細な糸を美しい色に染める。

幅広い「産地のデザイナー」の仕事

製織企業である島田製織株式会社が、なぜブランドを立ち上げることになったのか。「hatsutoki」の成り立ちを教えてください。

村田 弊社の仕事はもともと「生地を作ってアパレルに卸す」ことがメインで、基本的にデザインという概念はありませんでした。しかしここ20~30年で業界の流れは大きく変わって、「同じような服を作って価格競争するのではなく、オリジナルの物を作れるようにならなければいけない」という時代になってきました。自社でブランドを起こし、企画・デザインを提案できる力をベースアップしていこう、と。そんな業界の流れの中生まれたのが「hatsutoki」です。スタートして約5年、僕が入ってから丸3年となります。僕が入る前は、生地の営業と企画に携わっていた者があくまでも“生地のサンプル”という扱いで作っていたんですが、僕は学生時代にそれを見て「もったいないな」と思っていて。そこで社長に、「専任デザイナーとしてやらせてもらえないか」と直談判したんです。

村田さんが入ったことで、 “ブランド”の形ができあがったのですね。高校生くらいだと、ファッションの仕事といえば“デザイナー”しか思い浮かばない、なんてことも多いのですが、実際どんなことをしているかまでイメージできていないことがあります。村田さんは具体的に、どのようなお仕事をされているのでしょうか。

村田 専任のスタッフは僕だけなので、デザイナーと言っても仕事は何でもやらないといけないんですよ。企画、生産や原価の管理、営業から倉庫の整理に至るまで、ブランド運営にかかわることは全て行っています。今は目下、生産管理や企画などのシステムを中心に、“ブランドの基盤”づくりに取り組んでいます。いわゆるデザイナーの仕事としては、シーズンのはじめにカラーのイメージと全体の雰囲気を決めて、それを生地に落としこみつつ、服の形も考えていきます。生地とデザインの企画を同時に進めていけるところが「hatsutoki」の、ひいては産地ブランドの強みですね。無駄になってしまう部分が少ない柄が作れる、などの利点があります。

自宅に設けたアトリエでデザインを考えることも。
自宅に設けたアトリエでデザインを考えることも。

村田 生地のデザインを決めたら、まず職人さんに相談します。難しいことでもお願いできる関係性づくりも大事ですね。今、生地の製作をお願いしているのは3代続いている生地屋なのですが、3代目は僕と同い年の20代の職人さんなんです。これから30年くらい一緒にものづくりができる、とても貴重な存在。今後も、一緒に難しいことにチャレンジしていけたらいいなと思っています。

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