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世界で活躍する卒業生とウスビ・サコ学長によるリモート座談会を開催しました。

京都精華大学が2021年に新設する国際文化学部。「グローバルとローカルの視点」「個人として世界とつながる力」を掲げていますが、それは具体的にはどういうことでしょうか。世界で活躍する卒業生の新田英理子さんと角田長基さん、そしてウスビ・サコ学長が、東京・ベトナム・京都を結ぶリモート座談会で語り合いました。

なお本企画は7月1日発行の『木野通信 74号』の巻頭特集として行われたもので、本誌では紙幅の都合で未収録となった部分を増補した完全版です。

「現場」に学ぶ経験が、世界とつながり、社会を変える。
──京都精華大学「国際文化学部」がめざすもの


フィールドワークが精華の力

──まずは簡単なご経歴と現在のお仕事を教えてください。
 
新田 人文学部ができた1989年に入学した学部一期生です。卒業の前年にバブル崩壊がありましたが、わたしは幸い民間企業に就職でき、3年半ほど勤めました。その後の98年、まだ特定非営利活動促進法(通称:NPO法)が施行される前でしたが、「日本NPOセンター」という団体に入り、20年間職員として勤めました。大学時代に人権や差別、環境問題などの講義を受けたことや、タイで半年間フィールドワークをした経験をきっかけに、ボランティアや非営利活動に強い関心を持っていたんです。
そして現在は「SDGs市民社会ネットワーク」という一般社団法人で、事務局長を務めています。国連が採択したSDGs(持続可能な開発目標)の理念や17ある目標を社会に広め、国内と国外の動きをつなぎながら、市民レベルの「生活者目線」でSDGsを実現していこうという仕事です。
 
角田 僕は、人文学部に入ったのが1999年。2回生まで学園祭の実行委員をやっていました。3回生になる年にサコさんが精華に赴任され、なんだか面白そうだと軽い気持ちでゼミに入ると、そこから毎日、サコさんやゼミのみんなと一緒に過ごすようになりました。サコさんの母国のマリに行って大きな影響を受け、卒業後しばらくはアフリカに関わる仕事をしたり……。
 
サコ 角田さんの下宿の向かいのカフェに私がいたら、ちゃっかり現れて、よくご飯をおごらされたりね(笑)。
 
角田 ありましたね。でも一回だけですよ(笑)。で、現在は四大会計法人の一つ「KPMG」という多国籍のコンサルティング会社のジャパンデスクという立場で、ベトナムのホーチミンにいます。
仕事は、日系企業の会計・税務、リーガル(法務)、M&A(企業の合併・買収)など各種のコンサルティングです。日系企業は日本人としか仕事をしたがらない傾向があり、文化も独特です。ビジネス上の会話もハイコンテクスト(文脈や背景の理解が必要)ですから、現地の企業や専門家との間を横断的に橋渡しする、僕のようなコミュニケーターが必要になるんですね。
 
──人文学部出身のお二人がグローバルに活躍されているわけですが、その人文学部が再編され、国際文化学部となります。新学部開設の経緯と方針を学長からお願いします。
 
サコ 私が精華の教員になったのは2001年ですが、当時印象的だったのは、学生たちの「人間力」です。バイタリティにあふれ、授業や学内行事だけでなく、教員との交流や遊びに行く計画まで、すごい熱意を持って取り組む。そんな学生との関係が私たち教員にも楽しく、刺激的でした。それが時代とともにだんだん管理主義的になり、学生にも教員にも余裕がなくなってきたんです。人文学部は、私の学部長時代も含めて何回か再編をしましたが、学生もなかなか集まらなくなってきた。
 今回の国際文化学部の最大のねらいは、原点に立ち返り、人文学部が持っていたよさを取り戻そうということです。そこで改めて、精華の人文の力とは何だったかと考えると、学部創設以来ずっと続いてきたフィールドワークなんですね。学生が長期間、好きな土地や環境に身を置き、国外でも国内でもその経験を通じて人間として成長してゆく。現場と関わる中で文化の違いや社会課題を発見し、解決策を考える。そして、自分の価値観を見つめ直す。座学だけでは得られない、経験による学びを新しい学部でも重視したい。
 二つある学科のうち、人文学科は現在の人文学部を受け継ぎ、歴史や日本文化などの専攻を設けます。一方のグローバルスタディーズ学科は、今後成長するアフリカやアジアに重点を置きますが、それらの地域をどう取り込み、経済的に利用するかという従来の視点ではなく、地球規模のネットワークのなかで課題解決や共生を考える。ローカルとグローバルは別々に存在するのではなく、つながっています。足元のローカルな課題に取り組むうち、グローバルに展開していけばいい。新田さんと角田さんも、精華でのフィールドワークをはじめ、さまざまな経験を積み重ねて自分の道を見つけ、社会を変革する方法を手に入れた。国際文化学部の理想的なモデルと言えるでしょう。
 

世界のつながりを実感すること

新田 ありがとうございます。わたしがフィールドワーク先にタイを選んだのは、あの当時、アメリカやオーストラリアならいつでも行けるけど、タイに半年間滞在して現地の大学に通い、自分のテーマで好きなことも学べるというのは、精華でしかできないと思ったのが一つ。それと、格差や貧困の問題に興味があったからです。日本の経済力が伸び、ODA(政府開発援助)で世界一になった時代でしたが、一方、現地では格差が広がったり、環境破壊が起きたりしていた。タイではスラムに通い、住民と一緒にご飯を食べ、現地のNGOの活動を体験しました。卒業旅行は、フィリピンのスモーキーマウンテン(ゴミの山にできた巨大スラム)にも行き、大学時代にしかできないと思っていた経験をさせてもらいました。振り返ってみると、わたしは高校まで、この社会に差別や不平等があるということを身近に感じたことがなかったんですね。でも大学の講義で、平和で豊かだと思っていた日本にも問題がいろいろあることを知り、友達と議論するなかで自分が感じてしまう田舎出身のコンプレックスも、実は「都市と地方」という社会構造の問題なんだと気づいた。そこで、自分自身の問題と社会の問題をつなげて考えるようになったんです。
 
サコ 異文化に触れると、自分のことや日本の問題に気づくんですよね。それが最近はみんな、動くことを恐れている。違う世界を見ようとせず、自分さえよければいいんだと思っている。でも、今回のコロナ禍で、世界がリアルにつながっていることが突きつけられた。中国の武漢で起きたことが世界を麻痺させ、経済にばかり偏ったグローバリズムは、ふだん生産国や原価を意識することもなかったマスクや食料を入手困難にする。こうして問題を実感することが「社会を変えるために自分も何かしなきゃ」という気持ちにつながっていくのですが。
 
新田 コロナ対応にこそ、「誰一人取り残さない」というSDGsの理念が必要だと、わたしたちは声明を出しました。健康状態や適切な医療を受けられるかどうかは格差の問題とつながっていますし、ウイルスに感染して隔離された人にこそ正しい情報を届けるべきなのに、今はどうもそうなっていない。「経済のV字回復」を唱えるだけでは、みんなが「どこかおかしい」と感じている今の世界は変わっていかない。こういう世界をめざすんだという一貫した理念を掲げることで、未来世代に回すツケを少しでも減らせると思うんです。

社会貢献とビジネスを両立する

サコ 角田さんはゼミ旅行でマリに行った時、一人だけ向こうに残って、ドゴン族の村に長期滞在してたよね。マリ出身の私もそんな経験したことないのに(笑)。

角田 日本と比べて文化的、経済的、地理的に大きな違いがある一方で、人間として多くの共通点があることを実感しました。そうした経験をテーマに卒業論文をまとめたんですが、「異なる背景を持つ人達とどうやって面白く生きていくか」は今でも僕の人生のキーワードになっています。
マリに3カ月滞在し、帰国したのが4回生の秋。さあ就職先を探そうと思ったら、もうとっくに就活シーズンは終わっていた(笑)。アフリカからの輸入卸売りの仕事をしたり、西アフリカ各国の舞踊団を日本に呼んで公演を企画したり、アフリカをテーマにした飲食店を経営したりと、20代はずっとアフリカ関係の仕事をしていました。当時は「社会的起業」という言葉も今ほど知られておらず、社会貢献とビジネスはまったく別だと考えられていました。そうした分野で国際的に活躍するには、もっと視座を高めて、かつ、たくさんの経営事例を知ることが効果的だと考えて、30歳になった頃、それまでの事業をやめて会計税務の業界で仕事をすることにしたんです。
目標は明確で、やる気とアイデアだけはあったので、税理士関係の資格を順番に受験し就職活動を始めました。でも試験結果が出るまでは、必要な科目に合格していないからと誰も相手にしてくれず、50社ぐらい落ちました(笑)。いくつか科目合格の発表があった後、大阪の会計事務所に採用され、そこで4年間税務専門家として実務経験を積んだ後、今の会社に移りました。ベトナムへ来て、まもなく2年になります。
 
サコ あきらめないというのが、角田さんの話の重要なポイントやね。目標は誰かが立ててくれるものじゃなく、決まった形のゴールがあるわけでもない。いろんな経験を重ねて修正していけるんだということ。
ただ日本の場合、社会の理解が得られないという難しさがあるよね。大学に入り、4年で卒業したら、すぐ企業に就職して……という決まったレールがあって、そこからちょっとでも外れたり、順番が違ったりすると、世間から「落ちこぼれ」と見なされてしまう。だから大事なのは、本人がぶれない軸を持つこと。ゴールの形は決まってないけど、「こういうことをやりたいんだ」という目標を持ち続けることですね。
 
 

「日本は特殊」論から脱け出そう

──日本社会の同質性や閉鎖性はよく指摘されるところではありますが、お仕事の中でそれを実感することはありますか?また、ここを変えるべきという提言があれば。
 
角田 同質性や閉鎖性を感じることはありますが、大切なのは、自分自身がそれを突き破ることができるかどうかだと思います。
 日系企業は他国に比べて意思決定に時間がかかる傾向があると言われています。M&Aの交渉において、当初、ある日系企業がほかの買収者に比べて優位なポジションにいたはずが、意思決定が遅いという理由で、タイ、シンガポール企業に先を越されてしまうというようなことがあります。そんな時、「日本の会社文化が悪いんだ」と一言で終わってしまってはもったいない。見つけた課題の解決に向き合うこと、また、その組織を離れてやりたいことができる場所に行くことを考えるチャンスです。
 日本社会がリスクに対して過敏で、既存のレールを外れることを許さない”空気”があるというのは事実だと思います。一方で、他国と比べて新たな挑戦が難しいかというと必ずしもそうとも言えない。ベトナム社会にも日本以上に保守的なところがあります。韓国の学歴社会は日本以上に熾烈で、欧米でも経済や社会的な格差を超えることは大変なことです。むしろ日本は教育や経済的な格差がそれほどないので、個人のキャリアにおいても挑戦しやすいとも考えられると思います。それに、最終的に決めるのは、空気ではなく自分自身ですから。
 近年、日本の文化をことさら批判したり、逆に日本のすごさを必要以上に誇ったりするようなTV番組や記事を目にすることが増え、時に自意識過剰に感じることがあります。傾向を議論すること自体は否定しませんが、集団はあくまで個々の集合です。自分自身が殻を突き破って“自身と異なるもの”と関わった時、様々な発見があるのではないかと思います。
 先に述べたように、日系企業は日本人としかビジネスをしたがらないという傾向があります。よく言われることですが、日本国内でのビジネス慣習は欧米の契約文化とは異なり、また、言語の壁もある。そうしたハードルを越えて成果を出すことは大変です。でも、挑戦しなければいつになってもできないまま。そして、環境に関わらず、挑戦する人は果敢に挑戦します。僕の所属するオフィスには、ベトナムはもちろん、欧米やアジア各国からベトナムにやってきた同僚たちがたくさんいます。そこで気づかされるのは、異なる文化、第二言語の中で奮闘しているのは日本人だけではないという当たり前のことです。僕自身、失敗を繰り返しながらなんとか仕事をしている日々ですが、彼らと一緒に働くうえで意見がぶつかることや、その優秀さや合理性に驚くこともある。そうした日々は僕にとってとても大切なもので、大学時代のフィールドワークのテーマの延長線上にあるものとも言えます。
 
新田 わたしの場合、いい意味でのあきらめが早くからあるんです。今の日本社会の中で、自分はどうもマジョリティやメインストリームじゃないな、という(笑)。「海外から見た日本の特殊性」みたいなことから、そもそもはみ出している自覚があるので、マジョリティで居続けなければならないしんどさというものが、感覚的によくわからない。
 それは精華という偏差値的には決して一流じゃない大学で過ごした経験も大きかったんですね。人文学部に一期生で入った当初は確固としたビジョンも夢もなく、「わたしの人生、終わった」と思っていたぐらい(笑)。ところが、素晴らしい先生たちと出会い、友達と山ほどいろんな議論をする中で、大学生活がとても楽しく、充実していったんです。メインストリームにいなくても、こんなに楽しく学べることを知った。みんなと同じじゃなくてもいいんだと考えられるようになれば、自分が楽になるんです。周縁にいる者の強みでしょうね。
 むしろ、一流大学を出て、社会のメインストリームを歩き続けなきゃいけないと思い込んでいる人の方が、ずっとしんどいと思いますよ。「自分はいい大学を出て、いい会社に入ったのに、なんでこんなに大切にされないんだ、尊重されないんだ」と不満を持ったりして。
 
サコ マジョリティにしてもマイノリティにしても、何らかの集団の属性を持たなければならないと意識することが問題だと思うんですね。それは、社会や周囲から与えられた役割を果たすことを自分の存在意義にしてしまっているから。「自分は一流大学を出てるんだから、周囲の期待通りに偉くならないといけない」みたいに思い込んでしまう。
 精華の学生を見ていても、「個性的であろう」と意識しすぎて、しんどくなる人が少なくない。個性を意識した途端、それは個性ではなく、他人に対するイメージを演じているだけになります。演じることで自分の内面や考え方もコントロールするようになるから、苦しくなってしまう。
 重要なのは、自分自身をどう解放するか。そのためには、勇気をもって異文化や他者と出会うことです。その経験によって自分のフレームが壊れていく。そうしてはじめて、メインストリームもマジョリティもマイノリティもない、それぞれが個々に存在しているんだということがわかる。

多様性を面白がる「人間力」を

──最後に、精華の国際文化学部に期待することをお願いします。
 
新田 多様性を面白がり、尊重し合える人を育ててほしいというのが一つ。それと、人権に対する感覚を高めることでしょうか。社会や文化は人間がつくっていくものなのに、今の日本では人間を大切にする感覚が国際基準に達していないと感じます。人権という言葉はあるけど、生活感覚のなかに腹落ちしていない。だからこそ学生のみなさんには、自分自身を含めて人間を大切にすることを体感してほしいですね。

角田 大学への期待というより、自分が人生を楽しむ方法なんですが…、一つは「現場とソリューション」。実際に現場に行き、自分の目で見て感じたうえで、世界中から最も適切なソリューションを探す。課題に向き合い、自分の可能性を制限せず、主体的に解決しようという姿勢は、人生を面白く独自性のあるものにしてくれます。二つ目は自分が勝負できる場所を見つけること。世の中には情報のインプットが早く、再現することが得意な人がたくさんいます。そういう意味で「優秀」な彼らと100m走で競う必要はない。自分が勝負できるのは複合競技かもしれないし、新しい競技をつくってもいいかもしれない。そんな人がのびのび自分の方向性を追求できるのが、精華の魅力なのかなと思います。

サコ お二人の話を伺い、精華のよさは「人間力」を育てられるところだとあらためて感じました。異なる文化や意見を否定しない。違いを認め合って楽しむ。国際文化学部でも、その点を伸ばしていきたいと思います。
新田 英理子 さん
1993年人文学部卒業。現在一般社団法人SDGs市民社会ネットワーク理事・事務局長。
パートナーシップの発揮、SDGsの達成をめざし、活動中。
 
角田 長基 さん
2004年人文学部卒業。会計事務所勤務等を経て、現在はKPMGベトナムにて投資・会計・税務・法務・人事等コンサルティングに従事。
 
ウスビ・サコ 学長
2001年より京都精華大学人文学部教員。2018年より学長。社会と建築空間の関係性をさまざまな角度から調査研究を進めている。
 

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