時が過ぎるのは早いもので、このメルマガがスタートして満2年が経ち、号数も50回を数えるに至った。物事はなにごともマンネリがいちばんよくないと思う。私のメルマガも、そろそろリニューアルを考えた方がよいと思っている。少し時間をおいて新しい形での再出発を期したいので、今回、本メルマガの主テーマである小泉政治についての中間総括的なことを書いて、しばらくお休みとしたい。リニューアルしたマガジンのお知らせは秋のはじめ頃にお伝えしたいと考えている。
■ 「小泉改革」の出発点は何であったか?
前回のマガジンで、いわゆる「改革」の3つの流れを指摘したが、それとの関係で「小泉改革」の出発点を振り返っておきたい。
小泉内閣が異常なまでの高支持率でスタートし、現在に至るまで歴代内閣に比すれば依然として高い支持率を維持している理由は、「改革」への期待であると言ってよいだろう。たしかに、いわゆる「抵抗勢力」への譲歩・妥協によって「小泉改革」への期待は萎んできているが、しかし、依然として40%台の支持率がある背景は、今でも「改革への期待」があることを示していると見るべきだろう。そして、その「改革への期待」の中心をなすものは、総裁選段階での「自民党をぶっ壊す」発言にあると、私は見ている。前回に指摘した“3つの流れ”との関係で言えば、政治腐敗への怒り−政治改革への期待である。
しかし、「では、小泉純一郎は本気で自民党改革を考えていたのか?」と問うならば、答えは「ノー」であろう。小泉純一郎という人物の独特のキャラクター(風貌や語り口)がある種の「大衆受け」を実現しているのだが、二度にわたって総裁選で敗北し、自民党内派閥力学では総裁の座には就けない人物が、世論の“反自民”の流れに掉さすことによって権力を奪取しようとしてのパフォーマンス、術策であった。自民党への幻滅と怒り、そして、それ故に高まる「明快で強いリーダーシップへの憧憬」──この2つに対応したのである。
「小泉改革」の出発点が何かをあきらかにするには、「自民党をぶっ壊す」発言という「パフォーマンス」とは別に、そもそも小泉純一郎とはどういう人物なのかを考えてみることが必要であろう。
小泉は旧福田派の流れを汲む森派に属してきた。旧福田派はさらに遡れば岸派に辿り着く。森派の領袖・森喜朗前首相の「神の国」発言をはじめとして、森派はいわゆる「タカ派」で鳴らす議員が多い派閥である。小泉が首相就任後、靖国神社参拝を繰り返し、しかも韓国や中国の反発に対して、その意味を理解することすらできないかのような対応をしているのは、けっして不可思議なことではない。小泉は「タカ・ハト」という分類で言えば、もともと「タカ派」なのである。
このことは、圧倒的多数の国民の小泉(内閣)への期待においては、必ずしも考慮されていなかったと見るべきであろう。(ただし、石原慎太郎都知事の「高支持率」にも共通するが、「政治腐敗への怒り→改革への期待」と「強いリーダーシップへの憧憬」とが結びつくとき、それは容易に「タカ派」―右翼ナショナリストへの支持と結びつく傾向があることを、歴史の教訓から学ぶ必要があるだろう)
ところで、小泉内閣のスタート時点から「キャッチフレーズ」になってきたのは「聖域なき構造改革」である。昨今ではかなり色褪せてしまったが。
上に述べた「自民党をぶっ壊す」発言への強い国民的期待、「政治腐敗への怒り→小泉改革への期待」との関係で言えば、そうした“期待”が「聖域なき構造改革」に伴う“痛み”を我慢しようという気持ちを引き起こさせる誘因になった。
しかし、「聖域なき構造改革」について、政権発足当初、小泉自身になんらかの明確な構想(プラン)が存在していたのかと言えば、「ノー」である。せいぜいのところ、何かのひとつ覚えとして、「郵政民営化」があったぐらいであろう。小泉に経済学の理論があるわけではない。「構造改革」については、やはり市場原理主義者とも言うべき竹中平蔵が経済財政担当相に登用されたことに大きな意味があった。
■ 小泉政治の27ヶ月
以上をおさえたうえで、2001年4月末の政権発足以降の歩みを総括してみよう。
<安保強化路線の“抵抗なき勝利”>
「小泉政治の27ヶ月」の第1のポイントは、安保強化路線の“抵抗なき勝利”にある。
直接的には安保強化関連法のラッシュ、テロ対策支援法と有事法の成立、イラク支援法の衆院通過である。そして、テロ対策支援法に基づいて自衛隊艦隊をインド洋に派遣し、米軍との共同作戦を実質的に展開し、アメリカのイラク戦争にはいち早く支持表明した。
さらに、小泉自ら「自衛隊は軍隊」という発言を国会の場で平然とおこない、集団的自衛権の正当化・行使の検討も公言している。
55年体制下での自民党−社会党間の「攻防」を懐かしむつもりは毛頭ないが、これらの「安保強化」政策の相次ぐ展開が国会での抵抗らしい抵抗もなく罷り通っている事態は、驚くべきことではある。この点について、2点を指摘しておきたい。
1つは、中曽根政権時代との類似性である。
中曽根政権時代は第二臨調の下での行政改革の時期である。土光臨調として知られた第二臨調の発足自体は前任者=鈴木政権時代のことであったが、国鉄分割・民営化に代表される臨調=行革路線の本格化は中曽根政権下においてのことである。
第二臨調発足の理由は、二度にわたる石油危機による高度成長の終焉−景気後退に対する国債発行−財政政策の発動による財政危機の打開にあった。財政危機打開は1990年予算で赤字国債発行ゼロ化が達成されたかに見えるが、それは行政改革の成果として実現されたものではなく、バブル景気による税収の自然増によるものであった。第二臨調=行政改革の直接の成果は、国鉄分割・民営化による国鉄労働運動の解体−公労協解体−総評の実質的解体にこそあった。それは中曽根が掲げた「戦後政治の総決算」路線の具体化であった。
中曽根はこうして戦後的社民的労働運動の解体を図りつつ、さらにもう一方で、米レーガン政権の第二次冷戦政策と結びついて、「日米運命共同体」発言や「日本列島不沈空母」発言に代表される日米安保同盟のエスカレーション、また靖国神社公式参拝、教育臨調などの軍事大国化、新保守主義的路線を推し進めていったのである。
こうした中曽根政権のあり様は、行政改革という「国民的改革願望」に応える形をとりつつ、その実、戦後体制の右からの転覆を図るものである。国民の政治腐敗への怒り、現状打破の要求に応える形をとりつつ、安保強化−戦後憲法的制約の突破を進める小泉政権のあり方は、こうした中曽根政権時代のあり様と非常に似ているのである。
2つは、こうした安保強化路線に対する抵抗・対抗の思想的拠点の瓦解的状況ということである。
この点をきちんと全面的に論じようとすれば、それだけで一本の独立論文になるが、ここでは次の点だけを指摘しておきたい。中曽根政権、小泉政権のいずれもが「改革」(行政改革や構造改革)を掲げた政権として登場しつつ、その実、安保強化−戦後憲法的制約の突破を図る場合、国際政治レベルでの大きな変動と連動しつつ「新しい選択」を提示するかたちで問題を出すのだが、そこには国内政治、国際政治のいずれにも、既存構造のいきづまりという「共通項」があり、「改革」というスローガンを掲げる者が思想的・政治的ヘゲモニーを奪取するという構造が存在する。そこにおいて、社会党的な戦後革新派はいわば「守旧派」的な位置にたたされるのである。これは、しかし、単に政治力学的な問題にとどまるものではなく、戦後革新派が「護憲勢力=国会の3分の1勢力」という位置に安住し、冷戦構造の積極的打破の途を思想的・理論的・政治路線的に開拓しようとしてこなかったという、より根本的な問題を突き出しているのである。
<市場原理主義の暴走>
「小泉政治の27ヶ月」の第2のポイントは、市場原理主義の暴走である。
しばしば言われるように、小泉が「構造改革」の代表的な政策としている道路公団民営化や郵政民営化などが進んでいるわけではない。しかし、ここで言おうとしている市場原理主義の暴走というのは、そのこととは相対的に別個のことである。
政府主導で市場原理主義のイデオロギーが跋扈し、社会的ヘゲモニーを獲得していることが重要なのである。「構造改革には痛みを伴う」として企業の淘汰→大量失業、社会保障の切り下げ、各種社会サービスの有料化・商品化等々が進められている。「努力した者が報われるシステムへの転換」や「一度失敗してもやり直しが出来る社会にし、すすんでリスクをとる人を増やす」といったことが繰り返し主張され、人々は人間としてのいっさいの活動を市場競争原理に基づいて考え、展開するように強いられる。
市場原理主義的イデオロギーによる日本社会の再編の方向性は小渕首相の私的諮問機関「21世紀日本の構想」懇談会が提言した報告書にも既に見られたが、それは未だ一部識者の間での確認にすぎなかったと言える。ところが、小泉政権下で、それは一気に大衆レベルにまで浸透させられたのである。
市場原理主義の暴走は、私が大学に身をおく人間だから強く感じるのかもしれないが、国立大学の法人化と、それをテコとする「大学改革」をめぐる動きに、ある意味ではもっとも典型的に現われている。“競争資金”という言葉がある。国の財政から支出される研究費について総枠を決めたうえで、その配分は研究者間での競争によって決めるものである。COEに典型的に見られるものだが、大学及び研究者は資金獲得のために、「売れる研究計画・企画」づくりに躍起になる。私は、自身が大学に身をおいてみて、いったん教授ポストを手に入れたらロクな研究もせず、また教育活動もおざなりにしかやらない人が多くいることを身にしみて感じている。その意味で、ある種の「競争」「淘汰」があって然るべきだと思う。が、それは「日本経済が国際競争に勝ちぬくのに、ある研究がどれほど貢献するか」といったことを基準とする市場原理主義的競争であってはならない。学問には学問の論理があるのであり、そこでの“競争”は市場的価値に基づくものとは別個のものでなければならない。
ここで想起しておきたいのは、カール・ポラニーの『大転換』で市場経済が全面化した状態を「自己調整的市場」と呼んで、つぎのように述べていることである。
「現代以前には……原則として、経済システムは社会システムのなかに吸収されていた」
「市場経済とは、市場によってのみ制御され、規制され、方向づけられる経済システムであり、財の生産と分配の秩序はこの自己調整的なメカニズムにゆだねられる」
「望ましい政策とは、市場を経済領域における唯一の組織力にするような条件をつくり出して、市場の自己調整を保障するのを助ける政策だけということになる」
「市場経済は、労働、土地、貨幣などすべての産業要因を含んでいなければならない。…ところで、労働はすべての社会を構成する人間そのものであり、土地はすべての社会をその内に存在させる自然環境そのものである。市場メカニズムが、そのような労働と土地を包含するということは、社会の実体そのものが市場の法則に従属させられることを意味している」
ポラニーはこの自己調整的市場を19世紀に登場した社会としてあきらかにしているのだが、20世紀は、労働、土地、貨幣を擬制商品とする自己調整的市場が引き起こす諸矛盾をめぐって展開し、「社会を構成する人間そのもの」に人間的な権利と暮らしを保障すべく、純経済的・市場的論理だけでは存在しえない社会保障政策を体系化する(=福祉国家化)ことで社会の存立を可能ならしめてきたのだと総括することができよう。さらに言えば、20世紀後半は「自然環境そのもの」の市場経済的論理での濫用が引き起こす問題が環境問題として顕在化し、自己調整的市場の矛盾が抜き差しならないものになったのであった。
上に見たような学問・研究をめぐる最近の動向は、学問・研究までも商品化するものであり、自己調整的市場の矛盾を政治的社会的に調整・修正する20世紀の人類社会の努力・叡智を全面的に転覆しようとするものである。
<野党の解体──「大政翼賛会」的政治への道か?>
「小泉政治の27ヶ月」の第3のポイントは、野党の実質的な解体にあると言えよう。
この原稿を書き始める直前に辻元清美前衆院議員の逮捕があった。さらに原稿を書いている最中に民主党と自由党の合併合意のニュースが飛び込んできた。
辻元前議員らの逮捕は佐高信氏らが出した声明でも指摘されているように、「9条改憲反対勢力の一掃」を意図した、きわめて政治的色彩の濃いものである。小泉首相自身が関与したかどうかはともかくとして、政権中枢の政治判断が媒介していることは間違いない。第1のポイントで述べた<安保強化−戦後憲法的制約の突破>と、そのためには抵抗勢力を一掃する政治意思の強固さを感じる。
民主党と自由党の合併もまた、野党の解体を画期する事件である。マスメディアは「これで次の衆院選は政権をめぐる選挙になる」といった論評をしているが、およそ軽薄な論評である。詳しくは次節の「政党構図の歪さと「独裁政治」の予兆」で述べたいが、自由党は安保強化と市場原理主義の党である。他方、民主党は実体的には旧社会党系議員がまだ一定数存在するものの、党のヘゲモニーは30代〜40代の若手グループに握られつつある。その若手グループの主流は自民党との修正協議を取り仕切り、有事法制成立を導いた前原誠司に代表される安保・国防力強化派、そして小泉「構造改革」の加速化を要求する市場原理主義派である。
このような民主党と自由党の合併は、与野党を横断して、<安保強化、市場原理主義>路線が主流化することを意味し、選挙での路線選択を可能にする野党が実質上姿を消すことを意味する。
小泉政権下の27ヶ月を振り返ってみた場合、野党第一党の民主党は小泉路線との距離のとり方をめぐって動揺をくりかえしてきたが、根本的思想・路線において、「小泉改革」に飲み込まれ、野党としての存在を自己解体してしまったと言うべきであろう。
<以下、「下」に続く>
- 政党構図の歪さと「独裁政治」の予兆
- どうするか?