日本の大衆文化を知る
私は、精華が短大の時代から25年間勤めていて、ずっと英語の担当をしています。今受けもっている「英語I・II」という1年生の必修授業には、「多読」という英語の本を読むプログラムも含まれています。
どうも英語への苦手意識を持った学生が多いのか、英語への関心は少し低いように思えます。その理由として、中学・高校で、英語はあくまで「科目」としてしか見られておらず、「いい成績を取るために、乗り越えなければいけない苦難の壁」として、学生に思われてしまった。その苦しかった思い出が今でも尾を引いていると思いますね。
でも、英語は科目ではなく、「言葉」です。たくさんの人とコミュニケーションを取れる大切な手段です。世界を広げるという意味でも、私は学生に興味を持ってもらい、自分から英語を勉強してほしいと考えているんです。
授業では作文をよく課題として出すのですが、文法や単語の綴り間違いなどでは減点せずに、その文章にどのくらい英語に対する意欲が伝わってきたかで評価します。間違いを「違う!」と言って、根本的に否定したりはしません。間違いと言うのはおもしろいもので、その間違いから、その人の性格、まわりの環境または社会の一部を垣間見ることもできます。それを理解することで、効率的な解決方法が見つかることもあります。ですから、学生には間違いを「恥」と思い込ま
ずに、勉強をしていってもらえたらと思います。

昔と比べて学生が幼くなったように感じます。でもそれは、社会全体が幼く感じられるのです。今は、あらゆる点で選択の幅が広がりましたよね。しかし人は、選択の幅が広がりすぎてしまうと、広いがゆえに選択をすることができなくなってしまう生き物です。そういう状態が長く続いてしまうと、何を基準に動けばいいのかがわからなくなり、社会という大きなものの基準に身を任せるようになってしまう。試練を乗り越え、大人へと成長する機会を失ってしまいます。私は、それが幼さの原因だと考えます。これは、良い・悪いの問題ではありません。時代が変わるにつれて、人も変わります。人は、その流れに身を任せざるを得ません。
卒業した後、「楽しかった」「ためになった」と学生から思われるならば、いい大学といえます。また学生のこれからの生きる方向性のヒントを与えるのも大学の務めだと思います。そんな点で、京都精華大学の学生は、あらゆるところで大学生活を謳歌しようという意識が高い。こんな学生が多く見られる精華は、「いい大学」なのではないでしょうか。
中田 健朗KENROU NAKATA
人文学部 4回生
私は先生のクラスにあたったことはなかったのですが、個人的に英語の質問に行ったことがあります。先生との話は、些細なことでも、とても深い話になっていくのですが、聞いていても退屈しませんでした。長い話になると、大抵の場合集中力が切れがちになるのですが、先生の話は最後までおもしろかったです。また、大学生活を有意義にするヒントも聞けるので、迷っている方があれば、先生を訪ねてみたらどうでしょうか?
梶川 よ志子
教授英語は、「言葉」です。
中田 健朗
人文学部 4回生