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放射能には,ダイオキシン等の有害物質と同様に,いわゆる「許容量」というものがある。その本質について,考えてみる。
◎ 集団被曝量
放射線被曝(放射能から出る各種の放射線を浴びること)の危険性は,集団被曝量(単位:人・Sv にん・シーベルト)であらわす。例えば,「1万人・Sv」は,1万人がそれぞれ(1人あたり)1Svの放射線を浴びたことを意味するが,10万人が0.1Svずつ浴びた場合でも,あるいは100万人が0.01Svずつ浴びても,同じ集団被曝量(1万人×1Sv
= 10万人×0.1Sv = 100万人×0.01Sv =10,000人・Sv)。被曝した集団からどれくらいの犠牲者(ガン死数)がでるかは,集団被曝量に比例する。
いくら一人あたりの被曝量が小さくても,被曝した人数(被爆者数)が大きければ集団被曝量は大きくなるので,リスク(社会全体の死者数)は変わらない。なぜなら放射線が作用するのは,人単位ではなく,遺伝子単位だから。(被曝した人数の遺伝数の総数のなかから,何本の遺伝子が破壊されるかによって,犠牲者の数が決まる。)
◎ 医学・疫学による集団被曝量のリスク評価(ガン死者数)
今,原発から出る放射能以外の要因(自然界に元から存在する放射能,ダイオキシンなどの有害化学物質,タバコ等)によってガン(白血病を含む)になる人は1万人中約3千人の確率で存在するが,これに加えて原発の放射能・放射線によって1万人・Svの集団被曝が追加されるとすれば,さらに約500人増えて1万人中3,500人の確率に上がってしまう。このガン死リスク評価は,広島・長崎の被爆者のデータから類推したものなので,科学者によって評価の数字はかなり異なる(被曝によるガン死増加数は,1万人Svあたり500人から3,000人以上まで評価の幅がある。)
◎ 集団被曝量の許容量
- 集団被曝量の許容量は医学・疫学によるリスク評価によって決まるわけではなく,社会が<被曝によるガン死>をどこまで受け入れるかによって決まる。
- つまり社会が,原子力発電所から与えられる恩恵と被曝によるガン死増加数とを天秤にかけて,社会的合意により許容量が決まる。
- 集団被曝量の許容量は,政治や社会,あるいは法制度が変化すれば変動していく,という性格をはらむ。
- さらに,比べるものが経済と生命なので,単純比較は不可能。どこまで許容するかの客観的基準を定める事は難しい。
許容量が,社会的合意により決められる例を,比較が簡単なレントゲンで見てみる。
●成人の胃ガン:レントゲン検査を400万人が受診すると,約5,000人の胃ガンを早期発見できる実績がある。一方で,このレントゲン(X線)被曝により,集団被曝量から推計して約180人がガン死することになる(白血病を含む)。
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5,000人の早期発見と180人の犠牲を比較したうえで社会が許容したから今も病院でレントゲン検査が行なわれている。
しかし,この180人というガン死増加数は,日本政府が採用しているリスク評価によるもので,最も厳しい学説をとれば6倍近い約1千人という数字になる。つまり5人を救うために1人を殺すという計算になる。この場合,はたして社会的合意が得られるかどうかは定かでない。
●子どもの結核:早期発見によって命を救われる人数よりも,X線照射時の被曝によるガン死者数のほうが上回るので,社会的合意が得られなくなってきている。他に検査法(喀痰検査など)があるので,結核検診のためにわざわざX線に被曝させる必要性は小さい。
集団被曝量の許容量を決定する際には,(1)まず,医学・疫学者がガン死リスク評価の正確さを測り,(2)それをふまえて,社会がそのリスクを受け入れるかどうかを決める,という二重構造が存在することを見逃してはいけない。また,ガン死までは行かないが,免疫力の低下・疲れやすくなる等の症状(いわゆる「原発ブラブラ病」など)に苦しむ人達のことも忘れてはいけない。
許容量に対する考え方は,文明を考えるうえでも,きわめて重要なポイントとなる。
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