日本の伝統文化とイタリアの伝統や職人芸を
自分なりに融合させたいとシチリアで決意した。

2014.09.01

やっぱり京都精華大学を選んで良かった。
それだけ京都精華で学んだデザインは奥が深かったから。

長尾は現在、イタリアのシチリアで、革のバッグを中心としたブランドを立ち上げている。企画から制作、販売までを一人で担当。職人として、デザイナーとして確かな手応えを感じているという。

長尾は、趣味で油絵を描く父に影響されて、子どもの頃から美術やデザインという世界への憧れを抱くようになった。「仕事場から帰ってきて、夕飯を食べるまでのほんの1時間程度。父はラジオを聞きながら、油絵を描いていました」。そんな父親からは美術系の高校へ行ってはどうだ、と勧められたのだが、「反抗期だったんでしょうか。なんだか、親が敷いたレールに乗るのは嫌だと思ってしまって」と普通校へと進学。しかし、いざ高校卒業後の進路を考え始めると、やはり美術やデザインに興味を持っている自分を思い知らされたのだそうだ。

そこで長尾は美大への進学を選択。大阪の実家から通えるギリギリの範囲にあり、専攻も希望にピッタリだと思った長尾は1994年4月、京都精華大学美術学部デザイン学科に入学する。

「大切な入試の日に寝坊してしまうというハプニングはありましたが、ちゃんと合格できました。その後、京都精華大学で学べたことを考えると、ちゃんと美術系の大学を選んで良かったと心から思えますね」と長尾は笑う。心からそう思える、と長尾が言うのは、大学で『デザインする』ということの哲学や歴史が学べたからだ。

「カッコイイだけのデザインだけではなく、それに付随するストーリーや意味をしっかり考えられるようになりました。いま目の前にあるものが、なぜ、そのデザインになるのか、というプロセスも学べました」と長尾。

さらに、大学が持つ自由な風土の中で、長尾は自分自身で課題を見つけ、プランやスケジュールを組んでいくという楽しさを体感する。そして、そのことが彼女をどんどん成長させていくことになる。

転機となったのは、パソコンでの作業ではなく、
手作業を選んだことにある、と今だから思う。

大学3年生の時に、コースを選択する必要があった。グラフィック系のデザインを学ぶコースと、映像系の写真のコース。ところが、デザインを学ぶコースは当時主流となりつつあったMacを使うコースだということで希望者が多数集まった。対する写真はあおりを受けて希望者が少ない。それを嘆く先生との面談で、長尾はなにげなく「写真のコースでもいいですよ」と返事をする。しかし、その時のなにげない選択がいい結果につながったのだろう。

「授業で、商品撮影などを勉強するんですが、すべてのプロセスを自分でやるんです。アナログだとかデジタルだとかいうことじゃなく、すべてを自分で、というものづくりの基礎を、あの授業で学べたような気がします」と長尾は当時を振り返る。京都精華大学で写真を学びながら、ひとつのものを完成させる喜びと、自分自身の限界に立ち向かうという面白さを手に入れることができた。だからこそ、後年、初めて訪れたイタリアで、手作業にかけるイタリア職人をリスペクトし、自身もそこに近づきたいという思いが生まれたのではないだろうか。

芝居に傾倒していた長尾が、
バッグのデザイナーとして力を磨くようになるまで。

大学在学中に、長尾は同級生に勧められて、劇団維新派を見ている。白塗りの化粧をした劇団員たちの舞踏や、ユニークな演出で知られる劇団だが、その舞台装置は劇団員たち自らが1ヵ月から2ヵ月をかけて作り上げ、公演が終わればまた壊す、というスタイルをとっている。

この劇団で美術スタッフをするということに両親は激怒した。「それはそうですよね。せっかく大学まで行かせた娘が、お金にならない劇団のボランティアスタッフですからね」と長尾は当時を振り返って笑う。しかし、長尾は両親に激怒されながらも劇団の美術スタッフとして3年間務めた。

その後、ここで身につけた特殊美術塗装の技能を活かし、誰もが知るテーマパークなどの特殊美術塗装の仕事に携わることになる。この辺りも、手作業の面白さを知ってしまった長尾だからこその選択だろう。ただ、塗装業は体力勝負である上に、有機溶剤を使わなければならないこともあり、やがて、デザイン会社への転職を決意する。

「運が良かったんでしょうね」と長尾は言うが、それも含めて実力だと考えれば、バッグのデザイナーという職業につけたのは、必然と言って良いのかもしれない。長尾は卒業後初めて正社員となり、ものづくりに没頭した。その結果、4年間で2つのブランドを企画。それを成功へと導いた。しかし、長尾は日本での成功に満足することができなかった。

ものづくりの面白さと、ものづくりのサイクルとの間で悩んだ末に、
言葉も話せないイタリアへと向かった。

チーフデザイナーとして、重要な仕事を任されていた33歳の長尾は、突然会社を辞めた。自分自身のものづくりのスタンスと、企業戦士的なデザイナーとしてのものづくりのスタンスがまったく違っていたからだ。自分が企画し、大きな工場で淡々と量産されたバッグが、価格破壊的な安値で販売され、ゴミとなって捨てられる。そのサイクルの短さに強く疑問を持った長尾は、一念発起してイタリアのフィレンツェへと向かう。

「もう一度ゼロからものづくりをスタートさせるためには、ファッションや職人たちが息づく町へ自分を置いてみないと始まらない」と思った長尾は、イタリア語も英語もまったく話せない状態でフィレンツェへ向かい、語学学校に通いながらバッグの工房で研修を始めた。そして、その傍ら、日本から持ってきた数少ない手縫いの道具で、自分自身の作品も作り始めた。

大きな会社では得られない、クリエイティブの楽しさを心身ともに感じながら暮らしたい。そんな思いが長尾にこれまでにないほど、ものづくりへの欲求を高めた。

「とにかくフィレンツェには職人がたくさんいたんです。街には靴の工房、鞄の工房、シャツ、家具、家具の修復、絵画……。それこそ多種多様な工房が軒を連ねていて、それが暮らしの中にちゃんと息づいている。たとえば靴を作るときにも、自分専用の木型があって、自分のオリジナルの靴を作る。そして、それをメンテナンスしながら、一生履き続けるんです」

長尾は、そんな職人たちのいる暮らしに心をふるわせた。もちろん、イタリアでも日本同様、伝統技術の後継者が減り、大量生産型の商品が増えている。そんな中で、デザイナーであった長尾は、職人としての技術と気質を自身の中で養っていく。

日本の伝統的な文化を取り入れた、
折りたためるバッグをイタリアから発信したい。

現在、長尾はフィレンツェからシチリアへと移り、語学学校の先生であったイタリア人のご主人と、1歳半の長男、そして、パグ犬1匹とともに暮らしている。

「イタリアの国の印象ですか? とにかく不便です。要領が悪いというかなんというか。それも愛嬌なんですが…。そして、とにかく若者に活躍の場がない。日本のように、何にも実績のない若い人がお店を出す、なんて考えられないくらい厳しい。便利さで言えば、日本が世界一かも知れないですね」と長尾。しかし、伝統が暮らしの中に息づいているイタリアだからこそ、長尾は自身のブランドを立ち上げることが出来たのかも知れない。

「主人の協力もあって、『ORIGATA』というタイトルのバッグを展開し始めています。日本の伝統的な文化を取り入れた折りたためるバッグです。他にも、違う分野のアーティストとコラボレーションするとか、インスタレーション的なこともできればうれしいですね」と語る長尾は希望に満ちている。

物を入れるだけのバッグではなく、イタリアならではの伝統や職人技もうまく取り入れたい。オリジナリティあふれる自分にしかできないバッグを作りたい。なにをするにも不便なシチリアの街で、家族と笑顔で暮らしながら、デザイナーであり職人であると自負する長尾は強く決意している。

長尾 美樹(ながお みき)

1976年生まれ。大阪府出身。1998年ビジュアルコミュニケーションデザイン学科卒業。舞台美術を経験後、メーカーのデザイナーとしてブランドの立上げに参画。大量生産に疑問を持ち、33歳でイタリアへ。現在、『Soffio di Sofia』を主宰。バッグなどの企画デザイン、製作、販売を手がける。
『Soffio di Sofia』Webサイト→ http://www.soffiodisofia.com/