東京に来て約10年。仕事があって子どもがいる。それなのに京都にばかり目が向くのは何故だろう。

イラストレーター
2014.09.01

東京に行けばなんとかなる。本当にそう思っていた。

廣田明香が、京都から単身東京へ乗り込んだのは卒業から3年後、2002年のことだった。 卒業後、フリーのイラストレーターとして仕事を始めてからも、細々と食いつなぐことが精一杯。関西で営業活動を重ねるが、営業先からはいつも「イラストレーターとして仕事がしたいのなら、東京に行くべきだ」と言われるばかりだった。「よし、それなら東京へ行こう!」と廣田は決意を固める。しかし、今から思うと「言ってくれた営業先の人だって、なんの確信もなかったはずですよね。今ならそのことがよくわかります」と当時を振り返り、廣田は屈託なく笑う。

実際、東京に出てきてからも廣田の仕事は順調とは言えなかった。「京都にいるときに、たまに仕事を発注してくれていたクライアントが、たまたま東京に進出するタイミングで。そこからいただく仕事などで、なんとか食べてましたね」と当時の無謀さを振り返る。ただ、同じように東京に出てきた京都精華大学の同期生が何人かいて、彼らと連絡を取り合い、たまに情報交換と称して会うことが息抜きであり、不安を解消する手立てとなっていたようだ。

「実際にイラストで食べられるようになったのは29歳くらいだったんじゃないかなあ。少しずつイラストの仕事が増えていって、ああ、これでなんとかなるかもと思い始めた時期でしたね」

話を聞いていると、廣田には特有のおっとりした感覚と、ものづくりに向けられた鋭敏な感覚の両方が見え隠れするようだ。そのおっとりとした感覚は、京都精華大学を志望した理由とも若干重なるのかもしれない。彼女は京都精華大学に柔らかさを感じたのだという。「実際にキャンパスに行ってそう感じました。とても自由な感じで。来るものは拒まず、去る者は追わず、という感じが私には心地良かった」と廣田。しかし、同時に「入学してからは自由すぎて、なにをどうしていいのかわからなかったです」と笑う。

絵本の物語を考え、イラストを描き、
製本まで一人でやったことが転機となった。

廣田に在学中になにか記憶に残っている先生との対話や授業はあるのかと質問すると、沈思黙考した後、「う~ん、思い出せないなあ」とつぶやく。「あ、だけど!」と思い出すのは、同期の仲間や他学科の学生たちと一緒におこなったグループ展や写真展のことばかりだ。

その中でも、廣田の記憶に特に焼き付いているのは、マンガ学科の学生と一緒に絵本を作ったときのこと。なぜそんなことになったのか、ということはほとんど覚えていない廣田だが、一人で絵本のストーリーを考え、イラストも描いて、一冊の絵本として製本まですべて一人でやりとげたときの達成感は忘れられないのだという。「いま思うと、あれは大きな転機になったと思います。ものを作る、ということの面白さ、その真ん中の部分に触れた気がしました」と廣田。だからこそ、卒業して普通の就職をするのか、イラストレーターとして仕事をするのか、という選択で、迷わず後者を選ぶことができたのだろう。ある意味、作ることの面白さを知ってしまったという事実が廣田を東京へまで突き動かしたと言えるのかもしれない。

出産後、ハードなイラストを描くことが出来なくなった。

漠然とした期待、歴然とした不安を抱えながらスタートした東京での暮らしも、次第に落ち着きを見せ始める。仕事が順調に入り出すと、生活そのものが安定する。そして、東京で現在のご主人と出会い、結婚を経て、廣田は32歳で第一子となる女の子を出産する。

「最初は不安でしたね。まず、仕事がなくなるんじゃないかということに怯えました」

しかし、実際には仕事を失ってしまうことはなかった。クライアントをはじめとする周囲のみんなが廣田の出産を祝福してくれた。そして、体調が落ち着き始めた頃に、少しずつ仕事を戻してくれるようになったのだった。だが、そこに廣田の誤算があった。イラストが描けないのだ。あれほど大好きだったイラストが描けない。描くのが辛くて仕方がなかったのだと言う。

「私のイラストは柔らかい線のイラストじゃないんです。ちょっとハードなイラスト。なのに、子どもを産んでから気持ちはもうすっかり柔らかで(笑)。集中できないし、ハードな線が描けないし。本当に辛かった。いまだから笑って話せるんですが」と廣田は振り返った。

集中してイラストの仕事が出来るようになってきたのは、3歳で子どもを保育園に預けられるようになってから。自分の時間をうまく作らないと、イラストは描けないということがわかってきたのだという。

子どもを育てながらイラストを描くことで、
京都を思うことが多くなった。

廣田は10ヵ月前に第二子の男の子を出産。母でありながらも、フリーランスであるということから産後1ヵ月で仕事に復帰。春から彼を保育園に預けられるようになり、再び集中して仕事に取り組めるようになったばかりなのだという。

「最近、気付いたんですが、イラストが少しずつ変わってきましたね。これが子どもが出来たせいなのか、自分自身の年齢のせいなのか、いやもしかしたら、イラストを長年描いてきて、単にこなれてきたせいなのか」と廣田は最近描いたイラストとを見ながら話してくれる。おそらく、そのすべてだろう。子どもがいなかった頃のほうが時間の使い方が下手だった、という廣田。ただ時間を効率的に使えるようになったということではなく、様々なことが彼女の中に取り込まれ、昇華され、新しい表現として再び表出するのだろう。その時に思い出されるのは、結局は自分の原点なのかもしれない。

廣田は最近、京都での暮らしに思いを馳せている。最初にはっきりと感じたのは子どもを京都で産んだときだ。京都の伏見、宇治に近いところにある実家は、歴史と目に見えない宗教的なものを大切にしているように感じられた。無駄な土地がまったくない東京にはないものが京都にはある。そして、自分はそこで生まれ育ってきたのだという気持ちが日々高まっていることを感じている。

東京に出てきたあの日、25歳までずっと過ごした京都への思いが断ち切れたわけではなかった。「心のどこかにずっと京都がありましたね」と廣田は話してくれた。そして、「子供が生まれ、仕事も順調になってきた今だからこそ、京都のいいところが違う形で見えてきた気がします」と続けるのだった。仕事の面を考えると、京都に移り住むのは難しい。しかし、ときどき関西方面から請け負う仕事もあれば、講師として呼ばれることもあるので、京都とのつながりはこれからも大切にしたい。着物や陶器など、京都ならではの深い伝統と共に仕事がしたいと廣田は思っている。

京都に生まれ育った廣田は、東京に移り住み、東京での仕事を思う存分楽しんできた。だからこそ、京都を思う気持ちを大切にしながら、懸命に仕事に取り組み、そして、家族とともに生きていこうと決意するのだった。

廣田 明香(ひろた さやか)

1975年生まれ。京都府出身。1999年ビジュアルコミュニケーションデザインコース卒業。在学中からグループ展や写真展を開催。卒業後、フリーのイラストレーターに。商業施設『ファッション・クルーズ』の広告や、EDWIN、ワコールとのコラボレーションなど幅広い活動で注目されている。
Webサイト→http://www.sayakah.com