漆器を普段の生活の中に取り入れて欲しい。そう願いながら、自分にしか作れない漆器を夢みている。

伝統工芸家
2014.09.01

絵が好きだった。染織も好きだった。
そんな高畑に漆器は強い衝撃を与えた。

高畑はまっすぐに歩いてきた人だ。子どもの頃から絵が好きで、近所のお絵かき教室に通い始めたのは小学校1年生から。水彩で絵を描くのが大好きな子どもだった。そのまま、絵が好きな小学生は絵の好きな中学生となり、高校でもやはり一番好きなことはと聞かれたら「絵を描くこと」と答える少女へと成長した。

そんな高畑が京都精華大学の専攻を選ぶときに日本画を選んだのは、染織など、いわゆる日本の伝統的な工芸にも強い興味を持っていたからだ。当時通っていた画塾の先生からも、日本画なら京都精華大学がいいと薦められ、ここでもまっすぐに高畑は進路を選ぶ。そして、飛び込んだキャンパスには、高畑が「自由すぎて驚きました」と述懐するほどの自由に溢れていた。

しかし、そんな自由な環境の中でも、まっすぐに歩く高畑には、ストレートな道が与えられる。入学早々の1年生の時に選択授業でとった漆器の講座に魅入られてしまったのだ。漆造形作家である村田好謙先生が担当している授業を受けたときに、高畑は愕然としてしまう。漆には、造形物を作る、という伝統工芸としての創作と、そこに色を塗り、絵を描くという創作とが両輪としてある。それは高畑にとって、まさに夢のようなフィールドだった。

日本画としてはデザインに寄りすぎている、
という感覚に後押しされて。

以来、高畑は大学の授業として日本画を習う、ということと、村田先生を師と仰いで漆器を勉強するということを自発的にやり続けた。もともと、高畑は日本画でも大きな画面にシンプルに描くことが多かった。「もしかしたら、自分の絵は日本画というよりも、デザインに寄りすぎているのではないだろうか」と感じていたという。しかし、デザイン的なものが好きだった高畑にとっては、そういった違和感が、漆器への道を進むための後押しとなったのかもしれない。

平面に描くよりも立体にしていきたい。鑑賞用だけではなく、暮らしの中で使えるものを作っていきたい。いま高畑が願っていることの多くは、京都精華大学時代に培われたものだと言っても過言ではないだろう。高畑は大学時代の4年間を通じて、毎週、村田先生の講座には必ず顔を出し、展示会には毎回足を運んだのだった。

就活の中で、漆器とともに生きていこうという覚悟が養われた。

卒業間近、高畑は村田先生に相談をしている。何気ない会話の中で「卒業してからも漆がやりたいんです」と話す高畑。当時、村田先生はいずれ工房を持とうと漠然と思っている時期であった。いつ作るのかという話も具体化していない頃だったのだが、先生は少しずつ動きはじめていた。そして、「いいものをつくりたい!という気持ちをもった人たちが集まる工房をつくろう」という先生の想いに、高畑はついていくと決めた。

最初の一年間は先生の自宅である山科の仕事場へ通った。奥さんとお子さんが4人いて、家族の様に接してもらいながら漆器の基礎からすべてをやり直した。厳しく技術を伝える、というタイプの先生ではない。先生が何かを作り出すと、自分も一緒に真似をする。そうして、少しずつ自分で作る、ということの本質を学んでいった。

やがて先生が工房を作る。後輩が何名か入ってくる。先生は様々な分野で活躍し、新たな人脈を作っていく。こうして、高畑は日々の仕事を重ねながら、自分自身が作家として飛躍できる日を迎えることになった。

2012年の高島屋での個展。
先生から「自由にしていいよ」と声をかけられた。

いま、高畑はまた新しい道をまっすぐに歩み始めている。2010年、村田先生から「高島屋で個展をやらないか」と話をされた。先生の弟子になってからちょうど10年になる2012年まで準備期間は丸2年ある。不安はあった。しかし、この話を断る理由はひとつも見当たらなかった。高畑は「お願いします」と返事をし、村田先生は「なんでも相談してくれ」と返した。

それからの2年間は工房で先生の仕事が終わってから、自分の作品制作を続けた。ただ黙々と作品に向かい合う日々。いま振り返ると、不安など感じる暇もないくらいに打ち込んでいた気がする。

だからだろうか。個展の初日を迎えた時、高畑は先生から「お前はなんで緊張しないんだ」と呆れられたという。「俺は自分の初めての個展の時は身体の調子が悪くなるくらいだったのに」と笑う先生だったが、高畑の個展の成功を心から喜んでくれたという。そして、「もうそろそろ、自由にやってもいいよ」と声をかけられたのだった。それは、弟子である高畑が一人前の漆器造形作家として独り立ちを許された瞬間だった。

個展、独立…。
新しい工房のオープンも目前、高畑の新しい道は可能性に輝いている。

「いま思うと、先生との関係は師匠と弟子というよりも、なんだか学校のような雰囲気の延長でした」と高畑は振り返る。先生が出かけているときは、後輩と一緒に必死で仕事を進める。どんなにしんどい時も、笑ってやるという姿勢で仕事に取り組んだ。それが後輩との連帯感を生みだし、かけがえのない友情を育むことになったと感じている。

先生の工房から最初に独立した作家として成功することは、後輩たちに確かな道を示すことになる、という思いも強い。高畑は自分自身がまっすぐな道を歩くだけではなく、それを後輩たちにも指し示したいと考えているのだ。

では、何を持って高畑は作家として成功したと言えるのか。彼女自身の思いを聞いてみた。「私の作品的なものが評価されるということもひとつの成功だと思うんです。でも、それよりも、人々の暮らしの中にちょっと贅沢な漆器を置きたい、という思いが強いですね」と高畑。日常の中で使われる漆器を作り続けることこそ、自分に課せられた仕事だということを高畑は感じている。そこには、師匠である漆造形作家・村田好謙先生の常に作品を作り続け、自分が面白いと思えれば邪道と言われてもかまわない、という強い思いと重なる部分があるのかもしれない。人からの評価よりも、自分が満足できる作品作り。そこに目標を置いた高畑は、これからも確かな足取りで歩いていくことになるはずだ。

高畑 麻珠子(たかはた まみこ)

1978年生まれ。大阪府出身。2002年日本画コース卒業。在学中は日本画を学びながら、同時に選択授業で出会った漆を学ぶ。卒業後は漆造形作家の村田好謙先生に師事。2012年京都高島屋で個展。2013年独立。自らの工房、アトリエ麻珠子の開設に取り組んでいる。
Webサイト→http://mamiko-takahata.net