「運良くマンガ家になったんだから」と開き直ったら、新しい連載が決まった。

マンガ家
2014.04.30

大学に入って、初めてマンガをまともに勉強した。

資料が山積みになり、足の踏み場もない部屋でマンガを描き続けている。阿部洋一への取材もそんな部屋で行われるのだと思っていたら拍子抜けした。きれいに片付けられた部屋で阿部は、ジャケット姿で迎え入れてくれた。思わず「片付けた?」と聞いたら、そうだと笑う。以前、取材を受けたときにできあがった写真を見て、あまりの自分の部屋の汚さに愕然としたのだ、と。そう言いながら、少し照れくさそうに阿部は顔をふせる。

阿部は千葉の出身である。京都精華大学でうまくやっていけるのかと本人も思っていたらしい。「みんな関西弁だし、個性も強いし、大変かな?」と心配していた彼だが、問題はなかった。マンガ学科が開設されて初めて集まった仲間は約40人。阿部だけではなく、みんながそれぞれに緊張していたのだ。

「でも、第1期生というのは恵まれていたと思います」と阿部が言うように、4年生までが授業を受けられる広い教室で、第1期生だけが授業をしていた。その開放感と緊張感が、阿部には刺激となったのだと言う。それはおそらく教える側の教員たちにとっても同じだったはずだ。目を輝かせている学生たちを一人前のマンガ家としてデビューさせてやりたい。そんな気持ちが「在学中に500ページは描け!」という叱咤となった。

まじめに描く、という罠にはまった。

まじめな阿部は現役マンガ家である教員たちの言葉を真摯に受け入れ、毎日自分の描いた枚数を数え、記録していた。「たくさんの量を描かないと絵が自分のものにならない」と言われた阿部は、なんとしても500ページを描き上げようと必死だった。そうやって、阿部は自分自身のマンガをものにしようとあがいた。マンガが好きで、マンガ家になろうと京都精華大学に入学したものの、必ずマンガ家になれるという保証があるわけではない。だからこそ、阿部は毎日描くことを自分に課していたのだろう。描いていれば少し安心する。それは、自分の創作を手に入れようとする者が一度は陥る罠のようなものかもしれない。

自分のマンガを手に入れようとする思いと、もしかしたらダメかもしれないという不安との戦い。そのせめぎ合いに打ち勝つために、阿部は卒業後も毎日アルバイトをしながら規則正しくマンガを描くという暮らしを自分に課した。出版社に原稿の持ち込みをしたり投稿をしたり、時には大学の教員のところにネームを持っていって意見を聞いたこともある。普通なら、先の見えない暮らしだが、阿部は「なんだかマンガ家の下積みっぽくて妙に満足していたんですよね」と当時を振り返る。おそらく、その感覚がマンガの上達を邪魔していたのかもしれない。

あきらめないことで、新しい世界が開けた。

大学の教員に描きためた作品を見てもらったとき「クセのある話をクセのある絵で描かない方がいい」と言われた。「いま自分がもっているものも捨て去る勇気も必要だ。捨てたところで自分の個性が完全になくなるわけではない」と。

言葉が胸に突き刺さった。卒業後、山ほど「まじめに」描き続けているときに、自分の絵にクセがあることに気がついていた。でもこれしか描けない。これは個性なんだと自分で自分に言い聞かせていた。個性を伸ばすしかないと思い込もうとしていたのだ。

自分の弱さを見抜かれた阿部はバイトをやめ、彼女に養ってもらいながらマンガを描き続けた。後の妻になる当時の彼女は、「マンガがおもしろくなってきた」と言ってくれるようになった。彼女にそう言われるだけで、さらにマンガに打ち込むようになった。

いいわけはしない。おもしろいものを描きたいだけ。

教員の紹介もあり、原作付きのマンガでデビューを果たしたのが2006年。この作品は約1年で掲載雑誌が廃刊となり連載が終わった。しかし、気にかけてくれていた編集者がいてWebで連載再開。が、それもまもなく廃刊。人前でも泣いてしまいそうになるほど落ち込んだが、阿部は、こんなふうに考えたという。「編集者から『向いていない』なんて言われたこともあるじゃないか。自分は先生の紹介もあって、運良くマンガ家になったんだ。だったらもっと頑張ればもっとおもしろいものが描けるはずだ」と。そんなプラス思考が功を奏したのか、以後、阿部の作品は少しずつ注目を集めていく。第15回文化庁メディア芸術祭マンガ部門では審査委員会推薦作品に選出された。生活のめども立ってきた。

デビューしてもうすぐ10年。ふと、大学で出会った教員や仲間が自分の視野を広めてくれたり、人脈をつないでくれたんだなあと思い返したりする。そしていま、新作の連載準備に追われている。いいわけなどしなくても、おもしろいものを描けばいい。そう思えるようになった。

阿部 洋一(あべ よういち)

1981年生まれ。千葉県出身。2004年ストーリーマンガコース卒業。2006年『少女奇談まこら』でマンガ家デビュー。『血潜り林檎と金魚鉢男』で第15回文化庁メディア芸術祭マンガ部門審査委員会推薦作品選出。2013年4月より『別冊少年マガジン』で連載。