


−あなたはどのような教育を受けてきたか。
「もちろん私は現代教育を受けた経験がない。私はチベットの古い伝統的な仏教の教育を受けた。私は仏教が<解放>ということを非常に強調しているように感じている。<精神的自由>という文脈の中での内面的解放、内的自由という意味だ。ネガティブな感情は、それに操られている以上、悩みや災いの一番の源だ。さらに社会の中では、主として身体的なレベルで誰かに支配された状態は苦痛で、充分に人生を楽しむことができない。私は仏教の考えというものは社会的なレベルでも同様だと思う。私の経験では仏教の修行が私の人生にとって極めて適切で有益だった」

−日本の若い世代に何かメッセージを。
「先に述べたように、人はその人自身の支配者だ。すなわち人は自分自身で正しい道を見つけなければならない。私は自分の経験から日本の若者と共有できることがある。私は若い頃ときどき短気を起こした。忍耐力の欠如が時に不必要な問題を起こしたのだ。私自身の経験では、忍耐力を持つことは非常に重要だ。他方、決断力や自信も大切だ。そして何か考えが思い浮かんでも行動を急いではいけない。考えて考え抜くことが大切だ。
若者は未来の主要な担い手だ。だからより良い世界、より良い社会に向けての若者の決断や貢献はとても重要だ。そのために、自信、慈悲心、お互いの思いやり、それに責任感を持つこと。これらは正しい決断力や意志の発達の基礎となる根本的な要素だ」
−教育者へのメッセージを。
「私は常に教育者の仕事を高く評価している。先に述べたように、宗教的信仰としての仏教や仏教文化は仏教徒のものであるが、現実にこの社会では大多数の人々は仏教徒ではない。それゆえ、仏教の宗教機関としての社会への影響は限定されている。現在、ほとんどすべての人は教育を受けており、それら教育機関の教育者は学生を正しく導く上でもっとも大切な立場にいる。教育機関において、教育者は個人(学生)の発達に最大の関心をおくべきであると思う。そうでなければ良い心の発達、すなわち道徳がおろそかにされ、頭脳の発達だけに力点がおかれる。実際に優秀な頭脳が時として他人を苦しめ、また自らをも害する場合もある。仏教の教えとは、他人および自己に対する正しい態度を養うことであり、それは主として深い人間的価値に基づくものだ。私は教育者や教育の現場で働くすべての人々に『個々の人間の正しい発達に心を傾けてほしい』と申し上げたい。とても重要なことだ。教育は道具のようなものだ。道具の使い手の動機が正しくなければ、その道具は間違って、あるいは破壊的に使われることがある。それゆえ、頭脳の発達と正しい心の育成を両立しなければならない」