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池田 亮司

IKEDA Ryoji

芸術学部
専門分野
現代美術/音楽

経歴・業績

1966年岐阜生まれ。パリ、京都を拠点に活動。音そのものが持つ本質的な特性とその視覚化を、数学的精度と徹底した美学で追求している。サウンドメディアと視覚メディアの領域を横断して活動する数少ないアーティストとして、音響、映像、物質、物理現象、そして数学的概念の精緻な構成を用いて、鑑賞者を包みこむようなライブ・パフォーマンス、インスタレーションを発表している。

音楽活動に加え、「datamatics」プロジェクト(2006-)、「test pattern」プロジェクト(2008-)、「specrta」シリーズ(2001-)、カーステン・ニコライとのコラボレーション・プロジェクト「cyclo.」(2000-) 、「superposition」(2012-)、「supersymmetry」(2014-)、「micro | macro」(2015-)などの長期プロジェクトに取り組んでいる。

これまで世界中の美術館や劇場、芸術祭などで作品を発表しており、東京都現代美術館、アルス・エレクトロニカ(リンツ)、あいちトリエンナーレ(名古屋)、Park Avenue Armory New York(ニューヨーク)、バービカン・センター(ロンドン)、フェスティバル・ドートンヌ(パリ)、メトロポリタン美術館(ニューヨーク)、京都国際舞台芸術祭など、数多くの著名な美術館やフェスティバルに参加。
http://www.ryojiikeda.com/

メッセージ

芸術は直接何かの役に立ったりはしません。

ではなぜ存在しているのでしょう?
芸術とは何でしょう?

料理は美味しかったり栄養が摂取できるだけで良いのに、なぜ料理人たちは洗練に洗練を重ねてそれ以上のことを追求し続けるのでしょう?
自動車は何かを運んだり快適であったりするだけで良いのに、なぜ技術者たちはF1などで必要以上の機能やスピードを追求し続けるのでしょう?

そのような「職人」の世界でも、その機能や審美を極端に追求し続けると、もはや一義的な有用性や経済性から遠く離れて「芸術(的)」としか言いようのない境地に至ります。

芸術家は、料理人にとっての料理、技術者にとっての自動車という枠組が最初から無く、完全に自由に、地球上のあらゆる場所・もの・ことをキャンバスにし、その「無用性へ至る」本質だけを推し進めるのに一生の時間を費やします。

自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の頭で考え、自分の意思で決め、自分の手足を動かし、自分の感性や欲求に従ってものを作りたい・ことを起こしたいという強い衝動を抱える人たち、芸術の世界へようこそ。

作品・著書・研究活動など

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