アフターレポート

吉村 絵美留
「絵画の将来を見つめた修復とは」

吉村 絵美留「絵画の将来を見つめた修復とは」

吉村絵美留さんは40年に渡り、油絵を中心に絵画修復を手がけられてきました。
静かに淡々とお話しされる口調とは対象的に、絵画修復に向かう情熱と揺るぎない信念を感じました。会場には熱心にメモをとる方の姿がたくさんみられました。

冒頭で、「修復は誤解されているのです」と、一言。
修復というと傷んだ作品を綺麗にする、甦らせるという印象をもたれがちであるが、決してそうではない。結果としてそうなることはあるが、それが目的ではない。
現在の修復というのは現状を維持するということを重視しており、部分的に控えめに直すのだそうです。それは、後世によりよい修復ができるようにいう、次の時代を見据えての考えでもあります。

吉村さんが40年前、修復の世界に入った頃は作品を甦らせようとするあまり、皮肉にも過度な修復が行われていた時代だったそうです。そして、修復よりもむしろ、破壊行為に近いことが行われていたのだとか。そういった修復に対する概念を変えていくため、理解を得ることに大変努力した、啓蒙の時代であったそうです。

吉村 絵美留「絵画の将来を見つめた修復とは」

では、吉村さんは具体的にどういった作業を行っているのでしょう。まず油絵の構造を図解入りで解説、次に実際に修復を手がけられた作品の写真を参考に、絵画を傷める3要因(化学的/物理的/生物的)を説明していただきました。カビに侵された藤田嗣治の、亀裂が入ってしまった東郷青児の、こういった数々の名画が傷んでいる写真と修復された名画の写真を見比べます。もちろん、現状維持を重視し直されてはいますが、修復前後では絵の表情が違います。

作品の中にはそれが傷なのか作者の意図的なものなのか判断が難しいものがあります。
そういった時は、後で簡単に取り落とせるような素材を使い、色をのせるなどの修復を施すそうです。これは50年、100年後に技術が発達し、より良い修復ができるかも知れないという配慮から。さらに驚くべきことに、汚れも全て保存しておくのだとか。それは、修復前の状態に戻す必要がくる事も念頭においているのだそうです。

吉村 絵美留「絵画の将来を見つめた修復とは」

使用する道具も様々です。光学機器といった精密機器を利用し損傷箇所を科学的に分析、裏付けをしていく綿密な作業をされていきます。実際に作品に触れ、そして全体をみながら直していく様は、まさに外科医のようだと笑みを浮かべる吉村さん。今回の講演会では、実際に修復に使用している道具の一部をお持ちいただきました。なんと医療用のメスやピンセット、ルーペなど、医療器具が並んでいます。医療器具は人体に触れるものなので、とても繊細な仕事ができるため、重宝されているそうです。

しかし、何よりも大切なことは、画家をあくまでも尊重し、画家の狙いや目的を考えながら修復をしていく必要性がある。と、吉村さんは続けます。修復家は、あくまでも画家に対して従属的でなくてはならない。画家がいなければ、我々(絵画修復家)は存在しない。科学技術に頼りすぎるあまりに、過度な修復を施し、画家が作品に対してもつ意図を壊してしまってはならない。画家に対して畏敬の念をもって修復に取り組まなくてはならないと・・・。
修復家は芸術家でも職人でもなく、物事を冷静に視ることができる技術家であるべきだときっぱりとお話しされました。

吉村 絵美留「絵画の将来を見つめた修復とは」

さて、吉村さんはメキシコで発見された岡本太郎氏の巨大壁画「明日の神話」の修復プロジェクトにも携わってこられました。今回の講演会でも、2004年に現地調査にてメキシコへ渡墨された時から、2006年に壁画修復が終了するまでの経過を写真付きでお話していただきました。
あの巨大壁画の修復は、困難極まる、壮大なプロジェクトだったのです。そのサイズ故に一旦、ある程度まで解体しなければ日本へ輸送できなかった事、どんなに小さくバラバラになったピースにも一つ残らず番号を振り、元の位置に戻したこと、そして損傷の激しい作品をどこまでどう修復するか・・・岡本敏子さんをはじめ関係者たちとの幾度にもわたる議論をつづけ、*まだ誰も目にしたことのないこの巨大壁画を極力綺麗に復元しようという結論に至たり、細部への修復が始まったこと・・・。あらゆる科学技術や職人技、そして、吉村さん率いる修復チーム(なんと5名のみ!)が手がけた壮大な修復の物語を垣間みることができました。
(*1967年、メキシコの実業家が建築中のホテルへの壁画制作を岡本太郎氏に依頼。
しかし、その後依頼者の経営状況悪化に伴い、ホテル建設は中止。壁画は行方不明となっていたのです。現在は、東京・渋谷駅の井の頭線コンコースに設置されています。)

また、修復の過程でみえてきた岡本太郎氏の痕跡についても非常に興味深いお話をされました。それは、ほんの少しの線でも描き直しがみられることや、綿密に計算された下絵を元に描かれているといったことから、当時のメディアでみられた岡本太郎氏とはまた異なる人物像を知ったということです。(ちなみに吉村さんは、100点以上もの岡本太郎氏の作品を修復されています。)

最後に吉村さんが絵画修復家になったきっかけを。
画家であるお父上をもつ吉村さんは、その苦労を目の当たりにされ、美術の世界には進まないと決めていたそうです。興味があったのは物理学。しかし、浪人中のあるとき、「画家が絵の具を絞りだして絵を描くことは、自分の血を絞りだしていくようだ。」というお父上の言葉を思い出したそう。当時の油絵の具はとても高価なものですから、そういう思いにもつながったのでしょう。しかし、そういった過酷な思いをしてまで描いた絵は時が経てば無惨にも傷んでしまう・・・。何か自分ができることは無いのか?と考え、絵画修復の道に入ったとの事です。

科学の進歩と共に絵画修復の技術も比例して進化していきます。しかし、吉村さんは何度でもおっしゃいます。忘れてはならないのは、絵画には画家、つまり人が介在すること、そして、絵画修復家はその意志をくみとらなければ、修復にはならないと・・・。

雨の中お越しいただいた皆様、そして、吉村さんありがとうございました。

スタッフの感想

吉村 絵美留「絵画の将来を見つめた修復とは」

この日は、湿気が多く、ムッとした空気に包まれ、絵画にとっては意地悪なお天気だったろうと思います。吉村さんは、物腰柔らかく、そして気品さに満ちた方でした。一方、絵画修復に対する情熱と冷静なまでの洞察力と徹底ぶり、そして画家への従属的な姿勢・・・、吉村流プロフェッショナルの有り様には、背筋を伸ばし居住まいを正さずにはいられませんでした。

実は、この講演会は一人の学生の声によって実現しました。
吉村さんの話をぜひともお聴きしたい!と願い、手紙を書いてきてくれたのです。
当時中学生だった彼女は、吉村さんのことをある新聞記事で読みます。そして、絵画修復への興味から美術の世界へと考えを巡らせ、京都精華大学に入学したそうです。
その彼女は、憧れの人を前に終始緊張気味でしたが、これからの学生生活、そして卒業してからもこの日の事を忘れないで欲しいな。と、事務局の私たちは思っています。

(文責:社会連携センター 高山 祥子)