後藤 繁雄(編集者/クリエイティブディレクター)
「編集の昨日・今日・明日」(2002.06.27)

講演要旨
70年代から90年代にかけて、「編集」のあり様は大きく様変わりした。
その変化のプロセスと、webによるネットワークやコミュニティづくりが活性化する現在、未来の「編集」あり様を、具体的に語る。
東京の青山ブックセンターで6年間続けている編集ワークショップ「スーパースクール」の番外編。
プロフィール
後藤繁雄(GOTO Shigeo)
1954年、大阪生まれ。
「独特編集」をモットーに写真集、アートブックを数多く制作。
銀座資生堂の文化サロン「WORD」のプログラムディレクター、KIRIN PLAZA OSAKAのコミッティメンバー、ストリートアートの運動体artbeat、プロジェクトユニット[code]など、新しい文化創出のための仕事に精力的に取り組んでいる。
『太陽は笑っている』『独特老人』『彼女たちは小説を書く』など多数の著書がある。
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講演レポート
日本そのものがコンビニエンスストアのようだ。モノが氾濫した今を生きる私たちにとって、「編集」は実はとても身近なもの。私たちは自分の願望に沿って物事を選択・編集している。だが、その能力を仕事にするとなると、受け手へのサービス的な意味合いが強くなる。だから、編集者の話は「編集者」を志す人以外にも有意義なものだ。
 編集者以外にも多方面で活躍する後藤繁雄さんの講演は、ABC(青山ブックセンター)にて行われる「スーパースクール」の番外編として行われた。話は後藤さんが編集という業務に関わるまでの経緯から始まる。



・印刷屋でのアルバイトがきっかけ
紙にインクが印刷される、そのプロセスを通じて後藤さんは編集を知った。高校まで絵を描いていたという彼は、アルバイトを通して編集業務に惹かれていき、自分なりに編集のいろはを学ぶ。編集業務に携わるに当たり、最も手っ取り早い方法を考え上京を決意した。18歳の頃である。

・実際の編集業務へ
70年代の終わりごろ、20代半ばの歳である。また、そのころ広告のディレクションも学んだというから、編集プロダクションのような会社へ勤めていたのかと憶測していたら、どうやらそうではないようだった。彼が自分で自分を「編集者」と呼べるようになったのは、実際に編集業務に携わって10年以上経ってからであるという。彼は仕事をするにあたり、編集者という肩書きは持っていなかった。やっていることが結果的に編集であったのだ。彼自身、この状況をこう比喩している;「海にまず飛び込み、自分なりに泳いで、水泳を学んだ」と。彼はクロールや平泳ぎといった、予め決められた泳法を誰かに習うのではなく、手足を使って自分なりに泳いでいったのだ。

・企画の直談判
もともと芸術に造詣が深い後藤さんは、東京でも自分の尊敬する有名アーティストを果敢に訪ね、自分なりの企画を持ち込んだ。『「好き」というモチベーションが一番大事』という言葉の実践である。企画は他の人との差別化を図り、希少価値をつける。斬新なアイデアのために常にアンテナを張り巡らせ、彼はさまざまな企画編集を手がけていく。こうして、業界という海を泳ぐ術を身に付けていった。彼の活動を知る限り、この時覚えた泳法は今でも健在である。雑誌、Web関連、イベントにおいてまで、多種多様な方法で、様々なクリエイターと関わっている。何か企画があれば人を尋ね、クリエイターをその気にさせてしまうのだろう。
編集という仕事をするためには、誰かとのコラボレーションは必須だ。なぜなら、素晴らしい企画が浮かんでも、自分にはそれを作り出せない事は頻繁にあるからだ。例え出来たとしても、その道を専門にやってきたプロとコラボレートする方が、最終的に出来上がるもののクオリティを高められる。特に、人気のアーティストなどを製作に起用すれば、より世間の注目を惹くことが出来る。だから彼は言った、「編集は高度なサービス業なんだ」と。これは他の編集者もしばしば口にする。編集者としての実感、なのだろう。

・編集の「昨日」から「今日」へ
90年代も半ばを過ぎると、様々な企画制作を経ていく中で、後藤さんのアンテナが時代の潮流の変化を掴み取った。特にアートや音楽の分野において顕著だが、プロとアマの境がうやむやになっていったのだ。かつて、アーティストとは一握りの人間にしかなれない、特殊な存在だった。しかし、そうではなくなってきたのだ。これがいつの頃の事なのか言及しなかったが、後藤さんはある日、こう腹を括った;「今は誰でも表現者になれるのだ」、と。
彼が主催するスーパースクールは、マスコミ就職講座の色が強いものの、興味さえあれば誰にでも参加できる。初めはその事に「迷いがあった」という。ただでさえ超多忙の身である、本気でマスコミに関わりたいと願っている奴の面倒を見てやりたいという葛藤があっても不思議はない。しかし、「腹を括って」からは、少しずつ考えも変わっていった。今はむしろ普通の奴にこそ可能性を見出すようになった。
モノをサンプリングし、セレクトする能力を誰もが備え合わせざるを得ない今の社会の中で、彼は編集者のあり様を考える。例えば彼がリトルモア出版と共に手がけたホンマタカシさんの写真集。今でこそ彼は有名フォトグラファーとして知られるが、当時は全くの無名であった。何故彼が売れたのか、後藤さんは補足的にこう説明した。

「ホンマの感じはみんな持っているんだ。そのみんなが持っている潜在意識を形にした奴が、アーティストになれる」。

なんとなくを作り上げて、目の前に差し出す。それが出来たから、ホンマさんは売れたのかもしれない。そしてそれができるのは、何も技術を磨き上げた「プロ」に限ったことではない。技がなくとも、消費者と共鳴さえすれば、アーティストに成り得る。そして現実には、消費者自体の編集能力やセンスが向上しているから、彼らに選ばれた時点で、そのアーティストはある程度の能力を持ち合わせていることになるのだ。だから、編集の「明日」を考えたとき、彼は「一般消費者」とうまくコラボレートすることが必要だろうと語った。

・適正を見据える
そのコラボレートを考慮したとき、彼が注目するカテゴリーは、Web、イベント、フリーペーパーというものだった。これらは特別に大きな資本がなくとも行える。特にWebはコンピューター環境さえ整えれば手がけられるものだ。だが、現存するホームページの殆どは、コミュニケーションの場として充分には機能してはいないという。
「適正をしっかと見据えることが大事だ」と、後藤さんは強調した。どのような人が、どれくらいその企画に興味を持ち、参加するか。それを手っ取り早くつかむためには、イベントを催して直接に人と関わってみるのもいい。いわゆるマーケティング調査みたいなものだ。それができれば、例えばフリーペーパーに広告を載せて掲載費をもらうという事も可能である。受け手の実情を理解し、それに則して物事を編集していくのだ。

・編集の「明日」
誰でも表現者になれ、そして誰もが編集をしている。そんな世の中だから、彼は自分が身に付けた泳法を必ずしも信用してはいないといった。泳ぎ方は人それぞれだ、と。後藤さんにはやりたいことがあって、どうすればそれが「わかりやすく」「注目を集め」そして「効率よく」形にできるか、常に考え、彼なりに行動しただけのこと。しかしそれこそが、彼の飛びぬけた能力ではないだろうか。
現代人は、「自分のための編集」をする能力は持ちえているのに、自分探しの路頭に迷ってしまう傾向がある。身の回りにあるモノやコトは自分を説明する部品であるはずなのに、である。そう考えると、編集者として常に「他者へと向けた編集」をやり続けている後藤さんが、「自分(の泳法)を信用していない」という言葉はただの謙遜だろうと思う。自分がいいと思うものを信じているから、こうして活動してこられたのだ。そういう意味で、彼は自分探しなどとうの昔にやめている。彼のベクトルは常に外へ外へと向いている。

一般の消費者が内向せずに、より外へ発信する意識が高まり、編集者が消費者に編集される、そうしてお互いが向き合ったポジションに立てば、編集の「明日」は見えてくるのではなかろうか。
 

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