田村太郎(多文化共生センター代表)
「多文化社会とアイデンティティ−共生・異文化・ボランティア−」(2000.05.18)

講演要旨
国境を超える人の移動は勢いを増し、日本にも多文化・多民族社会が到来している。 異なる文化を持つ人と共に暮らすことは、これまで気づくことのなかった社会の矛盾や、文化の意味を発見することへとつながっていく。
メディアやコミュニティを舞台にボランティア活動を展開する多文化共生センターの活動から、新しい生き方やアイデンティティについて考える。
プロフィール
田村太郎(たむら たろう)
兵庫県生まれ。高校卒業後、バックパッカーとしてアジア、ヨーロッパ、アフリカ、南米を訪問。
95年1月の阪神大震災直後、多言語で被災者へ情報を届けるボランティア団体「外国人地震情報センター」の設立に参加。
同年10月、「多文化共生センター」への発展解消に伴い、事務局長に就任。 97年4月から代表として、広く在住外国人を対象としたボランティア活動や多文化共生の理念を広める活動に取り組んでいる。
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講演レポート
多文化共生社会は、「基本的人権」「力づけ」「協力」をキーワードに、バランスよく考えながら、様々な地域で様々な活動が行われていけば実現すると語る、多文化共生センター代表の田村太郎氏。
「みんなが同じ方向を向いて受験勉強しているのが耐えられず、勉強しなかった」という高校を卒業した後、バックパッカーとして世界中を旅した。阪神大震災が起こったときに、今のセンターの元となった7か国語での情報提供を始めてから5年余り。今や多文化共生センターは2千人規模の団体になった。



◎人が移動している
 日本人は、なぜ多くの外国人が日本にやってくるのか分かっていないと思う。世界を旅していたとき、外国人ばかりが乗る船の中、自分だけが生活のかかっていない状況、つまり道楽で乗っていた。そのとき、世界中で人が国境を越え移動している事に気がついた。日本にたくさんの外国の人がやってくるのは、世界の人の流れの一部だった。まだそのことを日本人は理解できていないし、理解しようとしていない。
 日本人の「外国人」を知ろうとしない無関心さと、僕がアパルトヘイト政策下の南アフリカで感じたものが同質に思える。相手に対して偏見と無関心で応じ、互いの接点を持つ努力をしない。「この状況をどうにかできないか」という思いが芽生えたのが5年前だった。

◎多文化共生センター設立
 5年前に阪神大震災が起き、日本で暮らすフィリピンの人にフィリピン映画をレンタルする仕事をしていた僕は、震災が起きた日も仕事に出掛けたが、あれほどの地震が起きたのに、その日もビデオを借りに来た人がいたので、「なぜこんな日までビデオを借りに来るのか」と聞くと、「不安でどうしていいか分からない」という答えが返ってきた。僕は、言葉のわからない国で何かハプニングが起こるのは怖いということが、旅をした中で知っていたから、彼が不安だということを身にしみて感じた。それがきっかけで、外国語の分かる人を集め、7か国語に対応できる外国人地震情報センターをはじめた。しかし、すぐに対応しきれなくなり、ボランティアを募集した。今は、そのセンターの名称も多文化共生センターに変わり、登録人数は2千数百人になった。その中で、仕事として働いてる人は10人ほど。その他の人はボランティアとして活動している。
  ところで、僕はそれまでボランティアという言葉は、強いものが弱いものを助けるという印象があったので、好きじゃなかった。震災のとき自分がボランティアをしていた、ということに気付いたのはずいぶん後になってからだった。

◎日本でも地域の多文化化、多様化がおこっている
 震災で、今まで見えてこなかった、見てこなかったことが明らかになった。
 1つの国に、様々な民族や国籍を持つ人が住み、現実に存在している。しかし、日本人はそのことを理解できず、震災後またそれを見ないようにした。なぜなら、日本は外国の人のことを想定していないからだ。
  日本は1つの民族が1つの国を持つ国民国家であるという固定観念を持っている。それが根底にあることをよく表しているのは、日本人が外国の人に対して発する「○○さん、日本に長く住んでおられるんですね。ところでいつお国に帰られるんですか?」「○○さん、日本に長く住んでおられるんですね。日本語が上手ですね」という、外国の人が不愉快だと僕に話す2つの言葉だ。日本で暮らす外国人がいることを当たり前だと思っていない。法律も外国の人が定住することを前提にしておらず、多様化、定住化に対応していない社会であり、外国の人はどうしても弱い立場にある。国、民族に対する考え方が変わらないと、多文化共生社会の方向には向かわない。

◎どうしたら多文化共生社会が実現するのか
 多文化共生社会を実現させるには、「3つの方向性」が必要だと思う。
 1つ目は、基本的人権。外国人の子でも、すべての子に教育を受ける権利がある。 また、日本で暮らすフィリピンの乳児死亡率が、日本のそれの4倍であることはとてもおかしい。理由はいろいろあると思うが、同じ国で生まれているのにこうも数字が違うというのは、明らかに基本的人権が保障されていない。
 2つ目は、力づけ。日本で外国人として暮らすことは普通のことだと言い続けなければならない。少数者でいることはパワーがいるから、側面から支えていく。日本で暮らす外国人が多様性を持ちながら、かつ、権利はイコールにしないといけない。
 3つ目は、協力。1つの外国人問題、移民問題といわれるテーマに、どれだけたくさんの人が協力して関わってもらうかという視点。
  この「3つの方向性」をバランスよく考えながら、様々な地域で様々な活動、教育、医療などが行われていけば実現する。

◎新しいアイデンティティが生まれつつある
 多文化共生社会が実現したら、民族や国籍ではない、新しいアイデンティティが生まれてくると思う。1つの地域に全く違う価値観や文化を持った人達と暮らすことは、 国籍の違いだけでなく、人はみな違い、もっと多様なアイデンティティ、価値観があることを気付かせる。もっとそのような方向に向かわないといけない。そのためにまず、国籍の違い、言語の違いを解決していき、そこで見えてきたものを私たち一人ひとりの違いに変化させていく。それぞれ違いがあってもかまわないというメッセージ をどう出すか。その中で、新しい生き方、新しいアイデンティティを考えていく必要がある。

─講演後、会場から「田村さんにとってアイデンティティとは何ですか?」との質問に答えて─
 今までのアイデンティティは、どこに住んでいるか、というものだったが、そこの地域に住んでいるという物理的なものだけに自分の帰属観をおくのは、危ないし危うい。これからは、「自分がどのような生き方をしたいか、どういう人と一緒にいて心地いいか」という帰属観を持っていくべきだと思う。僕は、何か違うコミュニティが 出現しつつあると思う。民族とか国籍にアイデンティティを持つ時代は終わった。そろそろ、個人の生き方、何に関心があるかということにそれをゆだねてもいいんじゃないだろうか。国籍とか地域とか民族ではない、それは何かはっきりしないが、それにアイデンティティをゆだねてもいいんじゃないかと僕は思う。

 

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