HISTORY

新『建築家の学校』
1987年、京都精華大学芸術学部デザイン学科に、「アーバン・リビング・デザイン分野」(建築学科の前身)が誕生した。

建築一般の教育やエンジニアの育成ではなく、建築家を育てる。
欧米では当たり前のこの方針だが、日本では建築教育100年の歴史をもってしてもまだそのような学校はどこにも見当たらなかった。

精華大学のこの方針は、日本の建築界に大きな衝撃をあたえた。
(21世紀に入り、多くの建築家が大学で教え、「建築家を育てるのだ」ということを前面に押し出すようになってきた。しかしそのような方法は、精華が先鞭をつけたものだと断言することができる)

上田篤(当時大阪大学教授)が立ち上げたもので、片木篤(現名古屋大学教授)、田中充子、山本理顕(現工学院大学教授)、高松伸(現京都大学大学院教授)が馳せ参じた。
山本理顕や高松伸といった当時新進気鋭の建築家が教育に参加したことに、建築家やデザイナーたちは驚きの声を上げた。

89年には片木篤の交代として、群像新人文学賞を受賞して小説家としてもデビューしていた鈴木隆之が加わった。
その後、SCI-Arc出身でMorphosisで世界的な活躍を始めていた新井清一、デザイナーとして着実な歩みを見せていた葉山勉が加わり、現在の布陣となった。

名称もその後「建築分野」へと変更になった。
しかし、それでは「建築家」とは何なのか?
その定義が、新世紀になって、大きく揺らいでいる。
新しい『建築家の学校』を構想しなければならない。
そう考えていたところに、本学で学部再編の波が起こる。
建築分野は、決断した。
その教育内容を根本から見直し、デザイン学部建築学科として新しい出発をすることを。