京都精華大学45周年記念事業ダライ・ラマ14世講演会

世界を自由にするための方法「宗教家と芸術家の視点から」ダライ・ラマ14世・よしもとばなな 講演会(2013.11.24.日曜日 国立京都国際会館 大会議場 [司会:レベッカ・ジェニスン(人文学部教員)])

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はじめに

司会:今日の講演会のテーマは『世界を自由にする方法』です。大きなテーマでございます。本学の教学内容である文化や芸術といった表現活動が個人や社会、より広い世界に対して与える影響力、または未来にどのような可能性を持つのかということを短い時間ですけれども探る場にしていけたらと思っております。まずはよしもとばななさんからご講演頂き、その後法王よりお話し頂きます。その後お二人の対話の時間としたいと思います。それでは最初によしもとばななさんよろしくお願いします。
(ダライ・ラマ法王、学長・理事長を近くに招き、よしもとばなな氏も皆で並んで座りながら講演をスタートさせる)

よしもとばなな氏 講演

本日このような素晴らしい場に私がいるということに責任を感じてかなり緊張しておりますが、とても名誉なことだと思っております。お招き頂いてありがとうございます。はじめに私の講演スタイルについて、この講演なのか朗読なのかはっきりしろ、みたいな状態について少しご説明したいと思います。私は書くのが仕事でお話しをするのは専門外です。相手がいればもちろんお話しできるのですが、ひとりで話すのは得意じゃないので、普段は質疑応答をして皆さんを絡めることでなんとかごまかしてきたのですが、今回は質疑応答がないということなのでこのようなかたちにしました。「目の前にいるのに原稿を読むなよ」と思われる方もおられるかもしれないですが、私にとっては自分の書いた物を発表することだけが誠意です。書き下ろしのエッセイの朗読なのか、講演なのかちょっともやもやしながらのんびり聞いて下さい。なるべくゆっくり読みますので20分くらいあります。寝ていて頂いても結構です(笑)。私の声が皆さんの耳にちょっとでも残って、次に該当する場面を見た時に、それが無意識の中から少しだけ浮かび上がってきて、今日ここに来なかったのと来たのと、ほんの少しだけ何かが変わるということを目指しています。小さな望みですが、大きなことです。私は気が小さいので、小さいことをこねくりまわすのが仕事です。大きなお仕事をしている人たちとは違うすき間のところでコツコツ活動していきたいです。小さいけれど大きなことに繋がっていくこと、というテーマでお話しします。

かなり長い間、私はダライ・ラマ法王を心から応援し、ご健康をお祈りし続けてきました。そして、私たちやその下の世代はダライ・ラマ法王のような偉大な存在の思想を引き継いでいかなくてはいけないと固く決心をして活動をしてきました。ダライ・ラマ法王の一番すごいところは、伝統を踏まえながらもあくまで臨機応変なところだと思います。私はその行動や物事への柔軟な対応、思想からとても多くを学び、ダライ・ラマ法王が秘めておられるたくさんの感情のために常に祈り続けてきました。チベットのためにもできるかぎりのことを微々たることですが、してきました。なので、いまここに堂々といることができます。そんな自分でいれたことを天に感謝します。

私は人生のある時まで、チベット問題にも仏教にも何の関心も持っていませんでした。全く白紙の状態で、ある時知人に誘われ、ネパールに行きました。ネパールはほとんどの人がヒンドゥー教徒なのですが、カトマンズにはスワヤンブナートという大きなチベット寺院があります。私は何の知識もなく観光客としてそこにいきました。それは美しい夕方でした。私はそこに一歩入り、わけもなく気持ちがどんどん乱れていくのを感じました。ドルジェやマニ車、タンカや教典をうる書店、お香の香り、色とりどりの旗。そういうことに全く興味を持っていなかったので、知識も何もありません。それでも私は、こういう場所にいたことがある、ここに帰りたい、言葉にするならそういう気持ちがどんどん溢れてきました。頭がおかしくなったかと思うほど強い気持ちでした。前から明るい小豆色の僧服を着た僧侶たちが夕方のお務めを終え、緩んだ表情でぞろぞろと歩いてきました。私はなぜか涙が止まらなくなり、皆と一緒に帰りたい、いつもと同じように帰りたいと思いました。そんな人たちに会ったこともないし、日本で法事に参加してお坊さんを見ても何とも思わない私が、です。そしてその時、僧侶たちが腕時計をしていることに猛烈な違和感を覚えたのです。「あ、ちがう。ここは自分の居場所ではない。今は違うんだ」との納得の気持ちが沸いてきました。もしも前世というものがあるなら、私は僧侶としてチベットにいたに違いない、とその時から思うようになり、ダライ・ラマ法王のご著書やチベットに関心を持つようになりました。あの体験が本物でも幻想でも構いません。この人生でのダライ・ラマ法王との出会いをそのように捉えています。私は作家ですから、空想を広げるのが本分です。今日の私のこのつたない話は、主に若い人たちに届けたくて編んだものです。そしてそれ以上に、もし遠い昔の私が、先代か、そのまた先代のダライ・ラマ法王のもとで、僧侶として生きたことがあるなら、いまこの同じ舞台にいられることはひとつの奇跡と呼べます。私が緊張してそれどころじゃなくても、きっと私の魂は無条件に喜んでいるでしょう。

(つづきます)